No.209
1998.8

<研究紹介>   ISASニュース 1998.8 No.209

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宇宙機とハイパーソニック流体力学

東京大学大学院工学系研究科 鈴木宏二郎  



◆宇宙機と空気力学

 このところ火星着陸やサンプルリターンなど空気力学がキーテクノロジーのひとつになっているミッションの話題に事欠かない。宇宙科学探査や宇宙環境利用が多様化・高度化するに従い「空力屋」にも出番が回ってくるようになったと言うわけである。空気力学を専門にし,なおかつ宇宙工学にも強い魅力を感じている筆者のような研究者にとっては誠に幸せな時代がやって来たと言えよう。
 宇宙機の空気力学の特徴は,速度のレンジが非常に広いと言う事である。宇宙機の大気突入速度は地球周回軌道で約8km/s,サンプルリターンのように惑星間軌道から直接地球大気に突入するものは10km/sを超える。これらはマッハ数(流速と音速の比)にして20以上となる。一方,その宇宙機が着陸を目指しているのであれば,最終的に速度はである。従って,宇宙機の空気力学では広範囲の速度域を包括して取り扱わなければならない。選り好みはできないのである。
 とは言うものの,クールな話題は存在し,上記の関連では非常に速い流れ,いわゆる「ハイパーソニック」の空気力学があげられる。日本語では「極(ごく)超音速空気力学」と固い名前になっているが,要するに「スーパー」を超えた超高速流の事で,マッハ数ではくらいから上をいう。筆者はこの何年か再突入宇宙機の超高速流れ解析に取り組んできたが,以下ではその世界の一端を紹介したい。



◆ハイパーソニックと空力加熱

 ハイパーソニック飛行での問題としては「空力加熱とその防御」が第一であろう。加熱から衛星を守るためには鎧を着せなければならないが,過度の鎧は厳しい重量制限のある宇宙機にとっては禁物である。従って,空力加熱量を精度よく見積もるのが空力屋の重要な使命であろう。大雑把に言うと,機体頭部が受ける空力加熱(光輻射による加熱と区別して対流加熱と呼ばれる)は単位時間単位面積あたり機体にぶつかる流体のエネルギーつまり(空気密度)×(機速の3乗)に比例し,機体頭部半径に反比例する。直径数十cmのカプセルだと地球周回軌道からの再突入で最大3MW/m2くらいとなり,サンプルリターンカプセルではその約倍にも上がるのは速度が乗で効いていることからも明らかであろう。MW(メガワット)と言われてもピンと来ないかも知れないがヘアドライヤーでふつう0.01MW/m2くらいと言うことで想像して頂きたい。この空力加熱の予測式はけっこう本質的で,複雑な流体力学の方程式をスーパーコンピューターで解いてもほぼ似たような結果となる。



◆空力加熱から身を守る鎧



図1 レーザーを用いたアブレータ加熱模擬実験

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 宇宙機が実際にハイパーソニックで飛ぶと何が起こるか?昨年,この非日常的な質問の答えを目のあたりにする機会があった。M-3SII-8号機,回収カプセル衛星EXPRESS(アフリカに不時着,発見されるまでの顛末は別として)の表面に取り付けられていたセンサーとともにカプセルの「鎧」の一部を手に取って見れたのである。この鎧は炭素繊維を樹脂で固めたものであり,「アブレータ」と呼ばれ大気突入時の加熱から衛星内部を守る典型的な熱防御材料である。表面は黒焦げの炭になっており,内側に炭になりかけの層が続くがその下はダメージを受けておらず新品同様である。つまりこの鎧は
(1)表面近傍の高温部分で樹脂が気化しその潜熱によって冷却効果があること,
(2)樹脂そのものの熱伝導性が悪いこと,
(3)発生したガスは表面を覆い機体まわりの高温流れからの加熱をブロックすること,
この3つの効果で内部を守っていたわけである。タイルと違い自身の一部が燃えて失われてしまうので何度も使えないのが欠点だが,厳しい空力加熱に対抗するタフな鎧として誠に頼もしい。このような状況は実験室でもある程度再現することができる。図は大学の研究室にある100W炭酸ガスレーザーを使って行ったアブレータの加熱模擬実験である。加熱率は約1MW/m2である。写真からもわかるように表面では気化したガスが噴き出しているだけでなく,そこで酸化(つまり燃焼)反応が起こっている。さらに加熱を強くして表面が3000度以上の高温となれば炭素の昇華が起こるであろう。なお,図では高温になった材料の一部がちぎれて前に飛び出している現象(スポレーションと呼ぶ)が見られるが,これは予測が難しいやっかいな問題である。



◆ハイパーソニックの流体力学モデル

 このような空力加熱を作り出す流れはどのようになっているのかを明らかにするのが流体力学の仕事である。まず実験室で実験といきたいところであるが,機体を数km/sで飛ばす代わりに機体模型まわりに数km/sの流れを作り出す装置(風洞)は最新の技術をもってしても簡単ではない。加熱率など条件の一部だけを再現する装置(アークヒータ等)はあるが全くの再現となるとさらなる開発努力を続けるとともに実フライト実験の機会を狙うしかない。しかし,待ってばかりもいられないため正当な物理モデルに基づく衛星周りの高速流れのコンピューターシミュレーション(数値流体力学=Computational Fluid Dynamics略してCFD)が重要となってくる。


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は衛星まわりの超高速流れを解析するに当って考慮しなければならない点をあげたものである。回収カプセルのように頭部が丸くなっている(これは空力加熱を軽減するためである)場合,前方に衝撃波が発生する。衝撃波の強さは先に述べたマッハ数で決まるから,衝撃波背後の温度は周回軌道からの再突入で3万度,サンプルリターンカプセルでは実に数万度にも達する。この熱いガスが衛星を取り囲むことにより空力加熱が生じたのである。一方,機体の表面温度は材料の性質から言って高々3000度くらいである。衝撃波と機体との距離は頭部半径の5〜10%程度だから,直径40cmのカプセルではわずか1cm程度の距離で数万度から3000度へと気体の温度が変化しているわけである。このような高温では気体が様々な熱化学反応を起こす。衝撃波背後での化学反応と生成される化学種のバラエティーは飛行速度(その2乗が流れのエネルギーつまり温度に相当)に依存する。2km/sくらいから空気の分子は原子に解離し始め5km/sを超すと電離反応が起きて衛星はプラズマに包まれることになる。これが有名な再突入時の通信の「ブラックアウト」の正体である。これらの化学反応は気体分子同士の衝突で起こるものであるから,衛星が地球大気で40kmかそれ以上といった高高度を飛行している場合,大気密度が低く分子衝突が不十分なためその反応速度が遅くなる。衝撃波の後ろと言っても流れは速いから反応は平衡に落ち着くことなく「流されながら反応する」ことになり,いわゆる「熱化学非平衡流」となる。流体力学の基礎方程式はナヴィエストークス方程式で知られるように質量,運動量,エネルギーの保存式で記述される。得られる式は多次元非線形の連立偏微分方程式でありそれを計算機で解くこと自体やっかいな問題である。加えて「非平衡流れ」では図2のような化学反応を流体の式と連立させて解くことが要求される。また,比熱や粘性係数など気体の物性値も高温まで使えるモデルを作らなければならないのは言うまでもない。壁付近でも特有な化学反応が起こる。図1にも見られた表面の酸化反応(燃焼反応)や昇華の他に壁の持つ触媒性によって起こる原子の再結合反応がある。再結合反応によって大量のエネルギーが壁近くで解放されるため空力加熱が倍増してしまうこともある。これら表面反応は気体の反応というよりは固体との干渉反応であり,気体力学だけでは解けないやっかいな問題である。固体物理や材料科学といった分野との学際的な研究が今後ますます必要になるだろう。宇宙機まわりのハイパーソニック流れのコンピューターシミュレーションはこれらの効果(理想からかけ離れたゴチャゴチャした気体という意味で実在気体効果と呼ぶ)を全て含んだものとなる。現在,気体モデルが整備され図2のような流れの計算結果を得ることは決して不可能ではなくなったが,比較するデータが限られているため「見てきたような…」と言われかねない。今後,フライトも含め良質な実験データを得る努力が一層求められるだろう。



◆連成力学シミュレーションへ

 近年の流体力学は図2のような複雑な流れの解明にも成果をあげつつあるが,決定的な弱点を持っている。流体力学は基本的に保存則であり境界条件そのものを決めてやる能力に欠けるのである。最も基本的な壁温度ですら壁内部の熱解析の助けなしには決めることができない。反対に壁内部の熱解析では壁表面から入ってくる空力加熱量が必要である。壁温度と空力加熱の情報をやりとりしながら大気突入軌道に沿って壁内部も機体周りの流れ場も決めていく−このような「自己完結的」なコンピューターシミュレーションも今後進むべき道のひとつではないかと思う。



◆難敵「乱流」

 これで問題は全て出尽くしたかに見えるが,もうひとつ難敵がいる。「乱流」である。厳しい空力加熱を受けた衛星表面がボロボロになっているのは想像に難くなく,そこを通る気体の流れもある程度「乱れ」ていることが予想される。この乱れは流れをかきまぜ壁から離れた所にあった熱いガスを表面まで持って来てしまう。結果として空力加熱は何倍というオーダーで増加することになる。仮にそうなったら,せっかく複雑な熱化学反応流れを解いた結果がぶち壊しになってしまう。この乱れはどのくらいの大きさなのか,増幅するのか,減衰するのか?しかし,高温高速の乱れた流れは理論も立てにくく実験データに至っては極めて少ない。幸い,高高度,高マッハ数では乱流の影響は出にくいと言われているが気になるところである。先に紹介した高温気体の熱化学反応も難しいが物理化学の法則に則れば式に書けるところに救いがある。人間でもそうだが,厳格な人より何を考えているのかわからない人の方がはるかに付き合いにくい。



◆空から地面まで串刺しに

 ここでは省略したがハイパーソニックより遅い流れについても様々な流体力学の問題は存在する。それらを解決して地面に到達したあと,このまま地面に潜って行けばそれは「ペネトレーター」である。その力学は「土砂の流れ学」と考えられ,Lunar-Aプロジェクトのお手伝いを通して大変いい勉強をさせてもらっている。以上を全て繋げれば,いずれ流体力学という観点から空から地面まで一気に串刺しにできるのではないかと夢想してる次第である。

(すずき・こうじろう)



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