No.193
1997.4

ISASニュース 1997.4 No.193

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SEPACとアメリカの法廷

河島信樹

 「May I talk with Barbara ?」,日本人なまりの英語を聞いた途端,相手は,ガチャリと受話器を無言で切る。何度か試みたが,相手のバーバラ・リーは,電話に出てこようともしなかった。丁度,スペースシャトル搭載の人工オーロラ実験「SEPAC」第一回実験の頃,米国へ何度も出張したときのことである。旅費の不足を補う意味で,文部省在外研究員としてスタンフォード大学に3ヶ月滞在し,そこからNASAの各センターへ出張した。宇宙研28年の間に,たびたび外国へ行くことはあっても,家族をつれての唯一の滞在であったので,少しはりこんだ家の家賃の敷金は,千ドル(当時,1ドルは280円),米国としては破格に高い敷金だったが,家主のバーバラは,一見気さくな好夫人で,「何でも使っていいですよ」と親切にいってくれた。小学校6年を頭に,2歳の三男まで男の子三人で,アメリカ式のすばらしい応接間や部屋の調度を傷めないように,ずいぶん神経を使ったつもりであったし,帰る前日には,一日がかりで家族総出で壁の隅々まで清掃をして出たので,後で,千ドルすべてを補償金として要求されようとは夢にも思わなかった。バーバラは,高級住宅地ラホヤに住んでおり,帰るときも,「敷金は、ガスや電話代の請求がまだきていないので後で清算しましょう。キーは植え込みの下に置いておいてください」として,点検にも来なかった。

 それから2,3ヶ月待ったが,まったく何の音沙汰もないので,まず手紙を書いたが返事はない。米国出張のたびに電話をしたところが,最初に述べたような結果である。本人は電話で話には出てくれなかったが,娘が受けたときに,一応話ができた。「バーバラは,ずいぶん家や付属品が傷められたといって怒っている」という。「それなら具体的にちゃんと話してくれ」とかけあったことろ,やっと,重い腰を上げたバーバラから,手紙がきた。古い家具が傷んだとか,針小棒大に書き並べて,損害額は千ドルを越えている,という。

 窮しているとスタンフォード大学の友人が,裁判所へ持ち込むことを勧めてくれ,サンタクララ地区の裁判所へ出向くことになった。係争物件が1,500ドル以下の「Small Affair's Court」と呼ばれる簡易裁判である。やっかいな書類に書き込んで,さて,提出してみると,よくいわれる米国の政府機関のサービスの悪さの典型で受付の女性が,また何とも愛想が悪い。裁判の日を決めろという。それも2ヶ月先までつまっていて,それも火・木の午前中しかやっていないという。そんなに海外出張がうまく入るはずがないし,千ドルのために日本からわざわざは来れない。困り果てたが,やらないよりはましだと思って,シャトルの会議の翌日を予約した。フロリダのケネディ宇宙センターの会議を終え,夜サンフランシスコに泊まり,翌朝その裁判を受けて午後1時の飛行機に乗れば何とかなりそうで,その裁判を受けることにした。

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 当時,この「Small Affair's Court」の実況がTVの人気番組であったが,裁判はまったく同じであった。即決裁判である。裁判官は,両者の言い分を聞いて,その場で判決を下す。大部分の人達は,そこで引き下がる。まず,裁判官の前に出て,右手を挙げて宣誓をする。そのときチラリと裁判官の書類を見ると,私のところにはその裁定金額らしいことろにはゼロと書かれている。不安はつのった。まず裁判官は「裁決の前に両者で外へ出てよく話し合いなさい」と指示した。もちろん,決裂である。そして,裁判官は,それぞれに言い分を聞いた。外でバーバラと言い合いをして少し興奮していたのが幸いしたか,英語がスラスラと出てきた。「Japanese Englishとわかるや否や…」といったら,裁判官は「いや,お前の英語はなかなか上手だ」とおせじをいってくれた。そして,やはり,電話を受け付けなかったということが幸いしたのか,裁判官は「即決にしなくてしばらく考えさせてくれ」と,15分程で審理は終わった。それから2週間ほどして,裁判所から手紙が来た。私の言い分を全部認めて,バーバラは千ドルの敷金を返済すべしという勝訴であった。

 ところが,これで一件落着かと思いや,そう単純ではなかった。バーバラからは何の連絡もなかった。仕方がなく,次の機会にまた飛行機の乗り継ぎの合間をぬって,サンタクララ裁判所へ出かけてみると,例によって,サービスの悪い女性が応対して,もう一度法廷を開けという。もし,相手が,自分名義の財産を十分持っていなければ,裁判所としても取り立てようがないので,確認の審査であるという。何と面倒なものだと呆れつつも,次の法廷を開く機会を捜していたが,なかなかそう簡単に外国出張の予定がうまくそれに合う機会はなかった。その後は,スタンフォード大学の友人が動いてくれて,いろいろ手を尽くして

くれたらしい。ようやく,バーバラの弁護士の事務所から小切手を送ってきて一件落着した。  日本では裁判所には行ったことがないのに,初めての法廷がアメリカとは貴重な経験をした。スペースシャトルのSEPAC実験では,このような楽しい思い出を沢山残してくれたが,宇宙研のパンフレットの国際協力の項からも姿を消す過去のものになってしまった。しかし,故大林先生の残してくれた新しいものへの挑戦は,一緒にSEPACをやった仲間が,SFUや宇宙ステーションで活躍している。SEPACを範として,もっと古いものを整理して,新しい宇宙科学を育てることが21世紀世界をリードする道であろう。

(近畿大学理工学部教授,前宇宙研教授,かわしま・のぶき)


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