No.192
1997.3

ISASニュース 1997.3 No.192

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旧駒場キャンパスの高速風洞に関する思い出

辛島桂一

 風洞と私との関係は昭和31年4月東京大学理工学研究所に助手として就職して以来今日まで41年間にわたります。就中,私にとって最も思い出深い風洞は旧駒場キャンパス60号館の高速風洞設備であります。この設備は超音速風洞と極超音速風洞の2風洞で構成されており,昭和33年に理工学研究所が航空研究所に改組された際に研究設備の整備強化の方策として作られた超音速気流総合実験設備の一部であり,昭和37年度に完成しました。特に後者は我国で建設された最初の大型極超音速風洞で,当時国内ではその建設経験が皆無なため設計・製作を直接担当された私の恩師の河村教授をはじめとする建設委員会の方々が大層苦労されたと聞き及んでいます。

 上記風洞設備の建設に直接関与する機会がなかった私は,利用者として大いにその恩恵にあずかるつもりでいましたところ,思いがけず建設後の風洞の後始末で苦労する羽目になりました。何分にも経験と詳細なノウハウ不足の状態で手探りで作った風洞ですので最初から設計通りの性能を期待することが無理であるのは止むを得ないにしても,風洞が規格通りの性能を発揮せず,特に極超音速風洞は始動すら出来ない状態でした。それ故、不具合の原因を突き止め,風洞を使える状態にまで改善することが河村教授より私に与えられた仕事であります。風洞に関する知識や経験に乏しい駆出しの私は最初は何から手を付けてよいやら分からず右往左往の状態でしたが,引き受けた以上はやらざるを得ないと覚悟を決めて,試行錯誤の方法で挑戦することにしました。超音速風洞ではM=4のノズルが始動困難であることを除いて特に深刻な不具合がなかったのは幸いでしたが,そのノズルを始動させようとして風洞の駆動圧力を上げていたところ,ノズルブロックを整流筒に押し付ける油圧装置が力不足でブロックが動きだし,危く大事故になるところで,命からがら逃げた記憶が今でも鮮明に蘇ります。

 一方,極超音速風洞が始動出来ない深刻な不具合の原因は測定室の空気洩れにあることは容易に推定出来ましたが,その解決には意外に手こずり,土方仕事の毎日でした。空気洩れの可能性が考えられる箇所を慎重に点検した結果,苦労の末に測定室をコンクリ−ト台座に固定するボルト部分からの僅かな空気洩れが原因であることが判明し,始動不能の難題を無事解決できて胸を撫で下ろすと同時に,極些細な空気洩れでさえ大型風洞の死命を制する原因になりかねない現実の厳しさを貴重な教訓として学びました。尚この風洞では測定部で一様な極超音速流の実現を目指して模型支持装置や噴流捕獲筒の改良に苦労した結果,ほぼ満足できる状態になりましたが,始動圧力比不足のためM=9ノズルの実用を断念せざるを得なっかたことは今でも残念に思っています。その後,航空研究所は宇宙航空研究所,更に文部省宇宙科学研究所に改組され,キャンパスが相模原市に移転のため駒場の風洞設備を放棄するまでの約30年間,私は引続き保守管理の実務担当者として当該設備に関わり,自身の研究の遂行と併行して測定デ−タの精度や信頼性の向上に苦労した日々が懐かしく思いだされます。その間に生じた様々な故障や不具合の処理を通して多くの貴重な経験や知識の蓄積ができましたし,特別事業関係のロケットの空力計測にもこの風洞設備は頻々利用され大いに役立ちました。

 これらの経験や知識が本研究所現有の高速風洞実験設備の建設に際して大いに役立ったことは云うまでもありませんが,長年の思いを込めて建設したこの風洞設備が,現在共同利用設備として全国の空力研究者の利用に提供され役だっていることを考えると,それは私の大いなる喜びであり,正に風洞屋の冥利に尽きるものであります。

(からしま・けいいち)


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