Home 宇宙科学研究所報告 臼田宇宙空間観測所水素メーザ標準周波数時刻システム

1.はじめに

 深宇宙探査機の追跡を目的とする臼田宇宙空間観測所には,直径64mのパラボラアンテナをもつ追跡受信管制設備が備えられている.その設備の中に,基本的なサブシステムの一つとして,標準時刻設備がある.標準時刻設備は,観測所内の送受信設備や変復調装置,測距・距離変化率計測装置,運用管制設備などに安定度の高い基準周波数信号や正確な時刻信号を供給する.標準時刻設備には基準信号の発生源となる原子周波数標準器が必要であるが,1984年の観測所開設の時点では,セシウム原子標準器が採用され,それにルビジウム原子標準器を補助発振器として用いる並列冗長構成が取られた.

 一方,深宇宙探査追跡局の周波数標準器としては,周波数安定度のより優る水素メーザ原子周波数標準器が望ましいことが知られており,例えば,米国NASAのDeep Space Networkでは,1970年代半ばに,その導入が図られた [1].深宇宙探査追跡局の大型アンテナは,しばしば,電波天文観測や電波科学上の観測にも使われるが,それらの分野の観測のためにも,位 相安定度の高い周波数標準として,水素メーザは欠くことのできないものとなっていた.

 臼田宇宙空間観測所においても,水素メーザを備えることは,観測所開設当初から強く要望されていたが,当時,水素メーザは極度に精巧な装置であると考えられていたことから,信頼性と保守の即応性が強く配慮され,国内において信頼度の高い水素メーザが製作,市販されるようになるのを待つこととなった.1980年代の後半になって,郵政省電波研究所(現在,通信総合研究所)における研究・開発の成果を土台に水素メーザの国産市販化が実現し [2,3],それを機に,1989年,臼田宇宙空間観測所において,水素メーザ装置1台の導入がなされた.観測所開設から6年目に当たる年であった.この水素メーザは,まずNASAの惑星探査機ボイジャー2号の日米共同オカルテーション観測 [4]に使用された.水素メーザは,当時まだ,その運転自体に実験的な要素があったため,臼田局の標準時刻設備の原子標準器を既設のセシウム−ルビジウム系から水素メーザに直ちに置き換える,ということはなされなかった.

 以後,パルサーの電波観測,VLBIによる局位置精密決定,およびVLBI天文観測などに使用されたが,続いて2台目の水素メーザの導入が図られた後,1997年2月,科学衛星「はるか」[5]が打ち上げられ,「はるか」によるスペースVLBI観測では,衛星への位相基準信号の伝送において,並びに,64mアンテナを電波望遠鏡として使用するに当たって,水素メーザは,必須のものとして,重要な機能を果たした.

 水素メーザは,現存する周波数標準器として最も安定度の高いものであり,そのため,1台のみでは,最高性能のもとに動作しているかどうかの確認が出来ない.2台ある時には,その相互比較により2台が共に安定であることの確認はできるが,差異があるときに,そのどちらかについての同定ができない.このことから,精巧で,微細な調整のもとに動作している水素メーザ装置を深宇宙局に要求される高い運用信頼性をもって動作させるためには,3台が並列運転されることが極めて望ましい.3台あれば,相互間の位 相比較を行うことによって,常時,動作性能の確認ができ,仮に性能の低下している装置があった場合,直ちにそれを検出し,調整の処置を施すことができる.

 このことから,水素メーザを3台構成とすることは深宇宙局としての臼田宇宙空間観測所の一つの課題であったが,1997年度,宇宙空間光通 信研究実験棟が建設された際に,それに伴う設備充実の一環として,3台目の水素メーザ装置を設置することができた.3台構成の水素メーザシステムが確立したことにより,臼田局の標準時刻装置の周波数標準器はセシウム−ルビジウム系から水素メーザに切り替えられた.

 3台構成の水素メーザシステムを実現したことは臼田の深宇宙局に新たな特徴を加えたものである.本稿は,3台の水素メーザとそれを運用するために製作した監視装置等からなる「水素メーザ標準周波数時刻システム」に関して,その構成と機能,設置状況,動作等を記し,一つの技術資料としてまとめを行うものである.


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