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火星探査機「のぞみ」−軌道投入を断念するにあたって−

すでに新聞等で報道されておりますとおり、我が国初の火星探査機「のぞみ」は火星を目前にしながら火星を周回する軌道に入ることが出来ませんでした。「のぞみ」は火星上空約1000キロメートルを通過して宇宙空間に飛び去る軌道を飛行しています。火星周回の軌道に移るには最接近時に主エンジンを噴射して大きな減速をする必要がありました。しかし、「のぞみ」チームの懸命な努力にも関わらず、故障した電子回路の遠隔操作による修復が出来ず、「のぞみ」を火星の人工衛星にすることはできませんでした。

「のぞみ」は我が国初の本格的な惑星探査機として1992年の春から開発が始まりました。火星上層の大気が太陽から吹いてくるプラズマの風によってどの程度はぎ取られていくのか、そのことが火星の大気の進化にどう影響しているのかを調べるのが目的でした。また、初めての惑星探査機であるため、さまざまな工学技術を取り入れ実証して「のぞみ」に続く惑星探査機開発の役に立てようという目的も持っていました。

惑星探査機は地球を回る衛星に比べ大幅な軽量化が必要です。さもなければ、ばかでかいロケットが必要となってしまいます。「のぞみ」チームは軽量化のために特別の予算をもらい1年余分に時間をかけて機器の軽量化に成功しました。また、地球との交信に最大40分もかかることを考えて「のぞみ」を利口にする自律機能を組み込みました。今回、一部の電子回路の故障により交信がほとんど不可能になった後も「のぞみ」の状態を知ることが出来、姿勢や軌道を調整できたのはこの自律機能のおかげでした。

「のぞみ」は1998年にM−V型ロケット3号機で当時の鹿児島宇宙空間観測所(内之浦)から打ち上げられました。地球と月の重力を利用して更に加速をして当初の予定では1999年10月に火星に到着するはずでした。しかし、1998年12月に行われた最後の加速時に主エンジンのバルブの動作が不十分で燃料を余分に使ってしまうという事故を起こしました。計画の中止を考えなければならない程の深刻な事態でしたが火星到着を約4年遅らすことで燃料を節約し、ほぼ元通りの計画が遂行できる新しい軌道を見つけることが出来ました。

2002年の4月に突如通信が途絶えるまで3年あまり、「のぞみ」は使える観測器を総動員して惑星間空間の観測を楽しむことが出来ました。その結果、「のぞみ」の観測をもとにした研究から数人の博士も生まれることになったのは不幸中の幸いでした。しかし、火星軌道投入の支障になる可能性があった長いアンテナ等は伸展する訳にいかず結局、アンテナを必要とする観測は一度もチャンスを持つことが出来ませんでした。また、火星でしか観測できない機器も当然観測のチャンスは持てませんでした。長い開発期間にわたって機器開発に心血を注いで来られた担当の研究者の方々の当時の姿が目に浮かびます。

「のぞみ」との共同観測を準備しておいでだった多くの方々の期待にも添うことが出来なくなりました。火星最接近時の地上望遠鏡との共同観測、欧州の火星探査機「Mars Express」との共同観測、「のぞみ」の観測と理論研究との比較等失ったものの大きさに圧倒されます。

「のぞみ」には小さな金属板に27万人の方のお名前が縮小して刻印したものが搭載されております。「あなたの名前を火星に」に応募くださった方々のお名前です。27万人もの方が支持して下さっているという事実は開発にあたっておりました私どもには大変大きな支えになりました。それだけでなく今回の軌道投入断念に際してさえも多くの励ましのメールをお寄せいただきましたことは大変大きな力になっております。

「のぞみ」は科学的には若干の成果を残し、惑星探査技術に関してもある程度の成果を残しましたが、火星探査という本来の目的では成功することが出来ませんでした。火星への細く険しい尾根道を歩くには未だ十分な注意力と技量が無かったと考えざるを得ません。そのため、頂上直前で足を踏み外してしまいました。大変残念であり、また、多くの方々のご支援とご期待に添えなかったことは大変申し訳なかったと思っております。今後は宇宙開発委員会等のご指導を得つつ、細い尾根道を可能なかぎり広く、安全にする努力を続けたいと考えております。

宇宙科学研究本部長 鶴田 浩一郎

2003年12月15日

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