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ISASメールマガジン 第507号
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ISASメールマガジン 第507号 【 発行日− 14.06.10 】
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★こんにちは、今回も編集を担当している阪本です。
相模原ではここのところぐずついた天気が続いていて、なんとなく気持ちがすっきりしませんが、植物たちはいきいきとしている感じがします。こういった季節の移ろいを感じることができるのも緑に囲まれた相模原キャンパスのいいところです。
今週は、太陽系科学研究系の飯田佑輔(いいだ・ゆうすけ)さんです。
── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙科学研究所ポスドクまでの軌跡
☆02:相模原はやぶさウィーク
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★01:宇宙科学研究所ポスドクまでの軌跡
こんにちは、宇宙科学研究所プロジェクト研究員の飯田です。
と一文で自己紹介をしましたが、プロジェクト研究員という名前を聞いてもどんな職業なのか想像できないと思います。もう少し一般的な名前でいうと、いわゆるポスドクと呼ばれる職種になります。ポスドクとは大学院で博士号を取ったあとにつく任期付の研究者です。もっと砕いて言うと、博士号を取ったあとにつく研究者の駆け出しのような職種をポスドクと言っています。
宇宙科学研究所(以下、宇宙研)では、多くの衛星プロジェクトが実行・計画されています。それぞれの衛星プロジェクトに対して、プロジェクト研究員という名前の任期付研究員の募集が毎年行われます。
私は昨年度から、その中の太陽観測衛星「ひので」のプロジェクト研究員に採用していただき、そのデータ解析を行って研究しています。本稿執筆時の2014年5月でおよそ1年間、宇宙研での研究生活を行っていることになります。
他のメールマガジンの執筆者に比べると若輩ものの私ですが、今回ISASメールマガジンに拙稿を載せていただく機会を頂きました。そこで、今回は私が「なぜ研究者になったのか」を中心に書き、最後に「宇宙科学研究所でのポスドク生活」について書きたいと思います。
まず、なぜ研究者になったのか、ということについて書きたいと思いま
す。宇宙研の多くの研究者の方にお話を聞くと、小学生の時から理科、特
に宇宙の話が好きだった方が多いようです。しかし、田舎の普通の小学生
であった私は、とりたてて宇宙が好きというわけではありませんでした。
人の話を聞いたり新しいことを知ることは嫌いではなかったので、学校の授業や社会見学のときに大人の方の話はじっくり聞いて、質問していたと記憶しています。しかし、特に理科が大好きということはなく、科目と
しては算数が好きであったと思います。
それは、小学校のときに宇宙の話は「へー、そうなんだ」という漠然とした感動であったのに対し、算数は自分でその場で手を動かして計算できたりして現実と比較できたりするのを面白く感じていたからだと思います。
間違えて欲しくないのは、決して理科が嫌いというわけではなかったことです。理科も好きでしたが、小学校の時点では算数の方が自分で考えられて楽しい、と感じていました。
しかし、中学2年生でオームの法則を学んだときに、物理を数学以上に面白いと思うようになりました。オームの法則というと、よく理科が嫌いになる代名詞(?)だと言われますが、私にとっては初めて目の前で実験できるような現象を定量的に説明してくれる法則で、ものすごく感動した記憶があります。また、そのときに色々な回路の電流と電圧の関係を考えて試しに測ってみて予想と比較していた記憶があります。
中学校で理科が好きになったあとは、どんどん物理の世界に引き込まれていきました。高校時代はよく友人達とテニスを行っていたのですが、休日は昼過ぎまでテニスを行ったあとに、図書館で物理の本を読んでいました。今思うと全く理解していなかったのですが、このあたりでじっくり考えることに耐性がついたのではないかと思います。ただ、特に宇宙が好きというわけではありませんでした。
宇宙に興味を持ち始めたのは、高校2年生のときに東京の大学のオープンキャンパスに行ったことが大きいです。
高校1年生の終わりあたりから、大学について話し合う面談を行っていたのですが、全く大学について気にしていなかった私は、とりあえず近所
の大学を受験しようと思っていました。しかし、高校2年生のときに大学のオープンキャンパスという存在を知りました。当時塾などに行っていなかった私は、楽しいかなと思い、オープンキャンパスに参加することにし
ました。そこで、いくつか物理学を勉強できる大学を調べて、オープンキャンパスを見てまわりました。
東京にでることは初めてだったのですが、せっかくだし東京も行ってみようと、自身で夜行バスを使った旅程を立てていました。行動力があったというよりは、あまり考えずに行ってみるかという感じで立てていたと思
います。
しかし、東京の大学のオープンキャンパスに参加したときに、大きな衝撃を受けました。そこでは、物理学を本気で研究している現場に触れることができ、また私の質問に真剣に答えてくれる人達に会えたのです。
私が聞いた研究は、宇宙でできる物質の話だったのですが、それは地球上とはまったく違ってその性質を調べているという話でした。そこで知ったことは、自分が物理として知っている世界を大きく超えるもので理解はできなかったのですが、宇宙をもっと知りたいと思うようになりました。大きく感銘を受けた私は、そこから大学に入るモチベーションを持つこと
ができたと思います。
大学受験を無事に終えて、志望していた東京の大学に入ることができました。東京での一人暮らしは、今考えるとあまり分からないうちに結構な冒険をしていた気がします。
私が入学した大学では、2年生時に学部を決めるというスタイルで、その際にオープンキャンパスのときよりも具体的に話を聞いてみた記憶があ
ります。天文学科、物理学科、地球惑星物理学科という3つの学科で迷ったのですが、宇宙を勉強できて自分で考えた仮説を検証する、ということを比較的簡単に行えるということで地球惑星物理学科に進学しました。
専門課程に進学したあとには、教授や准教授、またポスドクの方から教えていただける機会が増えました。私が進学した地球惑星物理学科は、一学年が30名程度で丁寧な指導が受けられたことが非常に良かったと思います。
3年生と4年生の演習では、実際の研究に挑戦するという講義があり、研究室の先輩に色々と研究の方法や何たるかを教わりました。その中で、知れば知る程不思議なことがでてきて、大学院への進学やさらには研究してみたいという気持ちが強くなりました。
4年生のときの卒業演習では、地球近傍の宇宙や太陽表面について学び、実際の観測データに触れてみる機会を頂きました。そこでは、観測されたデータが比較的大量にあるに関わらず、説明できていないことで満たされており、非常に興味を持つものでした。
実際にデータを触れてみてその楽しさを確認することで、私は大学院進学を決定し、無事に博士号を取得できました。博士号を頂いた研究は、4年生のときにきっかけがあった太陽の表面磁場の研究を発展させたものです。
その後に、1年間の学術振興会特別研究員というポスドクの一種を経て、昨年度から宇宙研のポスドクになりました。宇宙研の研究員を志望したのは、私の研究内容がコンピュータを用いた太陽観測データの統計解析であり、莫大な量のデータ処理を行いたいからです。日本の衛星運用の拠点となっている宇宙研は、データを取得する環境としては最も適しています。
現在、宇宙研での研究者生活を始めて、1年が過ぎました。宇宙研の環境は、大学での研究環境とは違います。一番の違いは、さきほどの日本での観測衛星運用の拠点となっていることで、実際の運用を行ったり毎日最新の観測データを見ることができることです。運用では、海外の研究者の方と協力して運用していることが多く、大学よりも国際色が強いと思います。他には、自分が用いている衛星のみならず、他の衛星を使っている研究者達と話す機会も多くなりました。
それによって、以前よりも視野が広くなったと思います。逆にあまり良くない部分としては、大学院生などの学生が大学に比べると少ないことです。これは研究所という機関なので仕方ないのですが、少し平均年齢が高くなってしまって若さが足りない(失礼!)ことは感じます。
今回、お話したものは私の場合の話です。研究者になるきっかけというのは、人によって本当に様々です。その一例として、このような流れもあるのだなと読んでいただければと思います。また、宇宙研で毎年夏に行っている特別公開で、メールマガジンにお話をされている研究者から話を聞けるかもしれません。もしかしたら、私のようにそれ以降の人生の方針を決めることができるかもしれませんので、ぜひお越しください!
特別公開の詳細はこちら
http://pr.city.sagamihara.kanagawa.jp/topics/028983.html
(飯田佑輔、いいだ・ゆうすけ)
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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※