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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第500号

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ISASメールマガジン   第500号       【 発行日− 14.04.22 】
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★こんにちは、山本です。

 2004年9月7日に第1号をお届けしたISASメールマガジン
月日を重ねて、500号になりました。

 原稿をお願いした筆者は 数えてみると211人もいました。

長い原稿なのに 反響の多い Eさん・Sさん
締切り前に キチンと原稿が届く Oさん・Nさん
何度も 改訂原稿が届く Aさん・Kさん

無理なお願いにも応えて書いてくださるISASの皆さんに感謝しています。

 これからも、1号1号積み重ねて読者を拡大できるよう頑張ります。

 的川先生からの原稿も、無事締切りには到着しました。

 今週は、太陽系科学研究系・PLANET-Cプロジェクトマネージャ(あかつき衛星主任)の中村正人(なかむら・まさと)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:メールマガジン500号、おめでとう!
★02:炎の中から蘇る金星探査機「あかつき」
☆03:2014年度「宇宙学校」共催団体決定
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★01:メールマガジン500号、おめでとう!

 ISASメールマガジンが500号を迎えた。

この種のものは創刊する時に「3号まで行けば御の字」と言われる。それをきちんと500号まで「保(も)たせた」のは、ひとえにコントロールタワーの山本悦子さんのお力である。まずもって心から感謝の気持ちを捧げたい。


 ISASメールマガジンは、知る人ぞ知る人気のメルマガである。これだけ現場の気持ちをストレートに語ってくれるメルマガは珍しく、JAXA相模原キャンパスで展開している迫力ある宇宙科学の活動の裏面に生々しく触れることができて、いつも読後感が素晴らしい。


 膨大な量になったと思うが、精選して何冊かの書物として発行してはいかがだろうか。日頃の読者以外の人々にも、ぜひ読んでほしいものである。


 常々感心するのは、相模原キャンパスには際立った「書き手」がいっぱいいるということ。それもこれも活動が充実していればこそだが、やはり書くという行為にはそのためのセンスが要求されるだろうから、ISASのチームは凄いものだなという実感が、メルマガを読むたびに湧き上がってくる。


 先日久しぶりに秋葉鐐二郎先生にお会いしたら、

「あのロケット模型のところを歩いていたらね。
 どこかのおじさんが見学に来ていて、しばらく立ち話をしていたところ、
 “近頃の宇宙研は随分と変わりましたなあ”って言うんだよ。
 聞いてみたら、周りの塀とか有刺鉄線のことを言ってるらしいんだな。」


 そう、宇宙科学研究所が東京目黒区の駒場から淵野辺に引っ越してきた頃は、相模原キャンパスは市民が自由に散歩だってできる場所だった。ところどころにイヌの糞が転がっていたりして、牧歌的な雰囲気が漂っていたことを思い出す。

いつの間にか塀がめぐらされ、建物の出入りにはセキュリティが施され、最近はそれでも飽き足らず、その気になれば簡単に乗り越えられそうな有刺鉄線。セキュリティの度合いが年々エスカレートしていき、それとともに研究の効率は落ちていく・・・。


 ひとしきり秋葉先生と嘆きの会話をしてからお別れした。

1982年に宇宙航空研究所から宇宙科学研究所になり、その時に誕生したISASニュースも、司令塔の利岡加奈子さんの奮闘で評判の発行を続けている。

これは創刊当時秋葉先生から「3号まで行けばいいね」と冷やかされたのを思い出す。それがもうじき400号である。


 こうしたニュースやメルマガを愛してきた無数の人々の群れを慮ることなく、

「紙媒体はヤメにしたらどうか」とか

「メルマガなど書く暇があるのか」

などという文化レベルの低い輩が存在するようだが、これを粉砕するパワーは、何と言ってもその著者と読者のみなさんにあるので、今後とも圧力や風説に屈することなく、1000号、2000号をめざして活気あふれる楽しい夢に満ちた記事を日本の人々に送り届けていただくよう、切にお願いしたい。

(的川泰宣、まとがわ・やすのり)


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★02:炎の中から蘇る金星探査機「あかつき」

 金星探査機「あかつき」を金星周回軌道へ投入する事に失敗したのが2010年の暮れでした。それからすでに3年以上が過ぎ、日本の皆様の記憶からはもはや金星探査機のことは消えてしまったことかと思います。しかしながら、我々「あかつき」を産み出した者にとって、この3年は、その失敗を忘れるどころか、何とかしてこの探査機に再び命を吹き込みたいとの願いが募る年月でした。

金星周回軌道投入失敗の原因は徹底して調べられ、そのノウハウはこれから打ち上がる探査機に活かされるとは言え、現実に「あかつき」は傷つきながら太陽の周りを回る軌道の上にあり、傷を癒やす事は出来ません。この手負いの探査機を再び金星に送り返し、金星探査の当初の目的を果たさせてやりたい。そのチャンスは2015年暮れにやってきます。


 人類による宇宙探査が始まって以来、一度遠い惑星の周りを回ることに失敗した探査機が、再び周回軌道投入に挑戦するということ自体、前代未聞、私は聞いたことがありません。

周回軌道に入れなかったトラブルは様々ですが、投入時に爆発してしまったりして、無事にその機体が保たれること自身珍しく、さらにその探査機が太陽を何周も廻った揚げ句、目的の惑星に再び辿り着き、そこで逆噴射をして周回軌道にのるという事はある意味夢の様な話です。しかし、その夢の様なことを我々は「あかつき」に挑戦させようとしています。

幸い、2010年の金星周回軌道投入時に機体そのものは推進系を除いてダメージを受けることなく、燃料も多く残すことが出来ました。そして、2011年に壊れた主エンジンではなく、姿勢制御の為の小さなエンジンを噴射して、「あかつき」が金星にたどり着ける軌道に乗せることに成功しました。


 しかしながら、それから後の飛行は「あかつき」にとって辛い旅でした。現在太陽を廻っている軌道は金星軌道のかなり内側に食い込んでおり、最も太陽に近づく地点では、当初設計で想定していた太陽からの熱入力の3割も多くの熱入力をうけることになります。「あかつき」は2015年の金星再会合までに9回もこの灼熱地獄をくぐり抜けねば成りません。

「あかつき」は現在までに6たび、この環境をくぐり抜けてきており、その度に衛星の温度は恐ろしいくらいに上がっていきます。衛星を管制している担当者は肝を冷やしながら日々の運用をこなしてきました。


 このまま無事に2015年暮れに金星に再会できたとしても、まだ試練は待ち受けています。主エンジンを失い、傷ついた推進系のみを使って金星を廻る軌道に乗らなければならないのです。

本来姿勢制御に用いる推進系は推力が小さく、金星周回軌道に乗るためには小さな推力を補うために長い間噴射し続けなければ成りません。さらには想定していなかった運用ですから、その推力には幾ら考えてもやってみなければ判らない誤差要因が含まれます。

このような状況が、地球からの指令が下せない、電波で往復15分もかかる遠いところで起きるのですから、探査機は慎重にその動作をプログラミングされ、何かが起きても探査機が自分自身で判断して不測の事態に備えなければ成りません。それも、一発勝負です。

推進系のさらなる試験をすれば現在でも不足しがちな燃料を消費してしまいますし、現在乗っている金星にたどり着ける軌道から逸れてしまいます。


 この様に、金星周回軌道再投入は決して簡単な仕事ではありません。むしろ成功したら、神に感謝すべき、大きなチャレンジです。誰も楽観はしていません。それでも、我々「あかつき」を宇宙に送り出した担当者は、この探査機に再び金星を探査する喜びを与えたいと願っています。

それは他の誰のためでもなく、このミッションを成功させるべきであるという我々担当者の己の価値観に依っています。その価値観とは

“新しいことにチャレンジし、成功させ、人類の知識に新たなものを加えることが人間として成すべき事である”

というものです。

成功しようと失敗しようと我々は全力を尽くします。どうか皆様も1年半先の「あかつき」の成功を一緒に祈って下さい。よろしくお願いいたします。

(中村正人、なかむら・まさと)

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※※※ ☆03以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※