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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第326号

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ISASメールマガジン   第326号       【 発行日− 10.12.21 】
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★こんにちは、山本です。

 ISASメールマガジンの配信数が、先週号で1万件を超えました。
2004年9月7日に107件で始まったこのメルマガも、6年3ヶ月で1万件。
これからも、ISASメールマガジンをヨロシクお願いします。

 今夜は皆既月食です。天気が好ければ 相模原キャンパスで“皆既月食を見る会”が開催されます。

 今週は、元・宇宙構造・材料工学研究系の横田力男(よこた・りきお)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:IKAROSセイル用ポリイミド膜・10gからのスタート
☆02:あかつきプロジェクトより
☆03:「あかつき」の金星周回軌道投入失敗の状況について
☆04:「皆既月食」を見る会(12月21日17時〜19時)
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★01:IKAROSセイル用ポリイミド膜・10gからのスタート

 太陽光を推進力とするソーラーセイルIKAROSは世界で初めて宇宙展開に成功し、表面アルミ蒸着したポリイミド薄膜を拡げて遥か宇宙を航行しています。IKAROS計画がJAXA宇宙科学研究所(ISAS)で2007年夏、承認される時の条件は、2010年5月に打ち上げる金星探査機に支障をきたさないことでしたから、3年にも満たない短い期間によく間に合って、しかも、ほぼ目標を達成できたことは夢のようです。ただ、ここに至る先行研究としては、たった数分間ではありましたが2004年に観測ロケットで展開実験を成功させたように、2002年に始まったソーラーセイルWG(ワーキンググループ)の自由参加したメンバーによる様々な提案と実験、例えばセイル形状や収納・展開方法などの具体的な要素研究・試行の積み重ねがIKAROSの成功を導いたのは確かです。

 セイル膜に関しては、2005年6月のメルマガ第40号に書いたように、宇宙を長期航行する本格的なソーラーセイル膜材には放射線や紫外線に耐える軽量なプラスチックフィルム・高分子薄膜が必須です。その材料とは大面積の製造技術以前の問題としてポリイミド以外には見当たらないことも要因の一つと考えられます。なぜなら1960年代のアポロ計画の頃に開発され世界中の宇宙関係者が熱く信奉する米デュポン社のKAPTONとその類似のポリイミドの問題点は大きな膜製造には接着剤を必要とすることです。
ですが現状では接着剤の長期耐久性は十分とは言えず作業工程の煩雑さもあって、一辺50mを超える大規模膜構造・セイルの製造は難しく多くの提案は絵に描いた餅の状況にありました。

 さて、プラスチックフィルムが宇宙環境で劣化して役に立たなくなるとはどういうことでしょうか。
我々が日常使うポリエチレンやポリエステルなどもプラスチックフィルムは原料の単位化合物が少なくても数百から数千個結合して(高分子量化)初めて鎖が絡み合い破れにくい高分子膜(フィルム)になります。しかし地上の数百倍も照り付ける太陽光の下では、それら高分子鎖の結合は容易に切断して低分子化して、絡み合うことが難しくなりボロボロになるためと理解されています。言い換えれば安定なKAPTON・ポリイミドの化学構造は二重に結合したハシゴのような、いわゆる亀の甲(芳香環)やイミド環構造から成るために仮に片方の結合が切れても、もう一方の結合により頑張れる訳です。優れたKAPTONに魅せられた私たちも優れた宇宙環境耐久性があって、加熱すればスーパーの袋のように簡単に貼れる(熱融着できる)高分子材料・ポリイミドを開発するために化学構造を変えて(これを専門用語では分子設計という)多くの実験を重ねて来ました。

 しかし、「二つと良いことはないものだ」の喩のように優れた宇宙環境性と易成形性の両立は容易ではない感がありました。ところが、10年ほど前にKAPTONと似た化学構造であっても、分子をつなぐ結合の仕方を姿のよい対称で直線的なハシゴ形態から、(折り曲がった)江戸の火消しのりが乗ったようなハシゴ形に代えると、これまでとは比べ物にならないくらい簡単に加工・熱融着ができることに気がつきました。KAPTONの単位構造は桜の葉のように平たくて重なりやすいために、ちょっと高温にしたぐらいでは簡単には重なりが壊れないのに対して、後者の凸凹したハシゴ(結合が折れ曲がった)になると化学的には安定で、単位分子の立体的形態はガサガサした柊(ヒイラギ)の葉のようになって互いに重なることができなくなる(これを非対称非平面構造という)結果、加熱加工に必要な高分子鎖の熱運動が容易になるものと分かりました。もちろん折れ曲がったハシゴでも脚立のように畳めるものはだめですが。セイルWGの発足から間もない頃に(化学式は参考文献を見ていただくとして)この発見をIKAROSセイル膜に応用できないかと考えました。

 そこで、すぐに市販されていないこの候補原料(a-ODPAという)を使ってポリイミドを試作するため、M社に原料合成をお願いすることから膜開発は始まりました。新しい化学構造のポリイミドの基本的性質の評価には、最低10gほどの高分子が必要です。合成したこのポリイミドはよく溶ける特徴があり、濃厚溶液をガラス板の上に流して乾燥させB5ぐらいの大きさのフィルムにします。もちろんフィルムにならないような、分子量が十分大きくならない場合もあり、繰り返し実験をした上でフィルムの強さや耐熱性、宇宙環境耐性などの基本特性を調べました。虎の子の原料a-ODPAとジフェニルエーテル(ODA)を用い、後にISAS-TPI(宇宙科学研究所製熱融着ポリイミドの意味)としてIKAROS膜に使用したポリイミドフィルムの性質は期待通りで、高分子化の難しさを解決すれば、IKAROS膜の要求特性を満たすことが実験室レベルで明らかになりました。また肝心の熱融着も大丈夫そうなことが溶融物性から推定されました。

 この時、2007年12月でした。IKAROSプロジェクトはすでに走り出しており、膜材に、この新しいポリイミドを使うかKAPTONと同じ構造 のK社APICAL-AHを接着して用いるか毎月開く材料部会の議論は続き、最終判断は開発状況次第という暖かい?意見にまとまりました。

 それからが大変でした。短期間のうちに原料の大量合成技術の目途が立つかM社との相談、Fu社との確実な薄膜製造の方法の見極め、熱融着条件の最適化とF社との融着機の開発、薄膜表面へのアルミの蒸着に関するT社との技術検証等々。並行して実験室内では限られた原料から確実に高分子量のISAS-TPIを得る合成法の確立、そのレシピにより大量合成をお願いするA社との折衝、大規模フィルムの製膜と品質保証・管理等々、いっぱいありました。

 打上げから逆算したタイムリミットをにらんだ膜開発は、共同研究員2人と院生2人の研究室で約一年半、個々の研究テーマはそっちのけで進められました。しかし、なにより困ったことは、市販されていない原料の十分な確保が短期間には難しいことでした。確実にISAS-TPIを合成するには自分達でやるしかないと決めました。
そして合成 ー 薄膜製造 ー 表面アルミ蒸着 ー 裁断、それを用いたフライト用IKAROSセイル製造と、全てが終わるまでどこが失敗しても時間的にやり直しがきかない状況の切迫感を体験しました。幸い緊張は持続し、厚さ7〜8ミクロンのISAS-TPI/AI薄膜は、IKAROS膜面の約10%ではありますが用いられ、宇宙へ飛翔することができました。

 そもそも実学である高分子は基礎研究といえども、具体的な利用とつながることが肝要です。しかし実際にはIKAROSのような材料開発に結び付く機会はそうあるものではありません。かなり無謀とも思える膜開発が曲がりなりにも実現できたのは、暖かく支援してくださった方々のお蔭と、身にしみて感謝いたします。10gからのスタートが何とかゴールへたどり着くことができた幸運を皆様と分かち合いたいと思います。


参考文献:横田力男 非対称ポリイミド・次世代宇宙航空材料を拓く
【高分子:2008年9月号 p58(Vol.57 No.9 ,2008)】

(横田力男、よこた・りきお)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※