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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第324号

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ISASメールマガジン   第324号       【 発行日− 10.12.07 】
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★こんにちは、山本です。

 今日7日は、「あかつき」の金星軌道投入の日です。

 相模原キャンパスでは 朝7時〜13時まで 金星軌道投入運用のパブリックビューイングを実施しています。(軌道投入運用の結果は、パブリックビューイング開催時間中にはでません。)

 今週10日(金)には、今年のノーベル賞の授与式が行われます。宇宙環境利用科学研究系・宇宙農業サロンの山下雅道(やました・まさみち)さんから、関連で原稿をいただきました。

 先日、TVの某クイズ番組で 解答者たちに宇宙農業サロン特製のカイコクッキーを食べさせていたかと思ったら、NASAの「地球外生命体の発見か?」と大騒ぎになった「生命に必須と考えられていたリンの代わりに、猛毒のヒ素を利用して生きられる細菌」のニュースにもTVでコメントするなど 大活躍中です。

── INDEX──────────────────────────────
★01:2つのノーベル賞
☆02:あかつきの金星を見よう キャンペーン
☆03:宇宙学校・しんじゅく 〜宇宙に夢中!〜 2011年2月6日(日)
☆04:第4回宇宙旅行シンポジウムのご案内
☆05:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:2つのノーベル賞

 2人の日本人の2010年ノーベル化学賞受賞のビッグ・ニュースにかくれたのだけれど、オランダのアンドレ・ガイム氏(Andre Geim、ロシア生まれ)は、個人でノーベル賞、イグ・ノーベル賞双方の初の受賞となった。
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://improbable.com/2010/10/05/geim-becomes-first-nobel-ig-nobel-winner/

 ストックホルムとは大西洋をはさんで米国のハーバード大学を授賞会場にしているイグ・ノーベル賞は、Improbable Research(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://improbable.com/ )という組織が1991年からはじめ、20年におよぶ歴史をもつ。これまでに日本人は15の賞を受賞している。カラオケ、バウリンガル、ウシの糞からバニラの香りとか、「人々を笑わせ、そしてその後に考えさせる」業績として、日本人の貢献が多く認められている。イグ・ノーベル賞の全てではないが研究費をガシガシ注ぎ込んでの成果ではおよそない。受賞対象が「玉」ばかりでないのはたしかだが、健全な好奇心と幅広い科学の活動を基盤とした業績が多い。

 ガイム氏のイグ・ノーベル賞は2000年の物理学賞で、カエルを磁場(勾配)により浮遊させる実験
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.youtube.com/watch?v=A1vyB-O5i6E
 ⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.physics.bristol.ac.uk/people/berry_mv/the_papers/Berry285.pdf
に与えられた。反磁性体は磁場に反発するので、強い磁場のなかにおくと浮遊させることができる。大きな水の球を浮かすのと原理は同じなのだけれど、ガイム氏らは生きたカエルを浮かせてみせた。ただし、動画像のかわいさでは1990年に宇宙ステーション・ミールで秋山豊寛氏に撮影してもらった微小重力空間での二ホンアマガエルのほうが数等まさると自負している。磁場により浮かされて四肢をうごかすカエルはともかくとして、重力生物学でも磁場による反磁性体浮上の手法は注目された。デンプンも磁場で浮き上がる。植物の重力感受細胞のなかで平衡石としてはたらく大きなデンプン粒子を浮かせることにより、微小重力を地上の実験で模擬できないものかが調べられた。

 ガイム氏の2010年ノーベル物理学賞は炭素の化合物・グラフェンをつくり、その物性などを明らかにしたことによる。グラフェンは、ハチの巣の断面のようにならんだ一原子層の炭素の分子である。
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2010/sci.html
その作り方や性質などが、元宇宙研の(現在は東京大学)長汐晃輔氏
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.isas.ac.jp/j/mailmaga/backnumber/2007/back145.shtml
 ⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.adam.t.u-tokyo.ac.jp/research.html#gp
により紹介されて、なつかしかった。

 ところで、宇宙研(元)職員でノーベル賞の受賞者が一人(唯一?)いる。
1977年に宇宙研の前身の東京大学・宇宙航空研究所の客員教授をつとめたジョン・フェン氏(John B. Fenn)である。体のはたらきのもとになるタンパクなど生体高分子の質量分析・構造解析で2002年に化学賞を島津製作所の田中耕一、スイス工科大学のクルト・ヴュートリッヒ(Kurt Wuethrich)の両氏と共同受賞した。客員教授として駒場キャンパスの大島耕一研究室に滞在していたフェン先生と山下は出会い、1980年から1983年にかけて2年と半年米国東海岸のイェール大学に文部省の在外研究員としてわたった。フェン研究室では、エレクトロスプレイ・イオン化法(ESI)による生体分子の質量分析をゼロからつくりあげ、ノーベル賞のもとになった初出論文を1984年に Yamashita & Fenn の共著として発表した。

 生物・医学関連の質量分析の研究というと、宇宙とは縁が薄いのではないかと思われるかもしれない。フェン先生にしてからが、山下とおなじく化学で研究生活をはじめながら、ジェットエンジンの開発に携わったことで流体力学にふみこみ、分子線化学の基礎を築いた。宇宙航空研究所・客員教授となったのも、その縁でのことだった。JAXA・宇宙研「正史」には元職員のノーベル賞受賞とともにESIが宇宙工学研究のスピンオフであることもまた記載されていないのだけれど、つぎのようにESIは宇宙工学と密接に絡み合っている。

 高い空や真空の宇宙でロケットのノズルから噴き出す超音速の噴流の希薄流体力学、分子的なレベルで理解する伝熱・輸送過程、燃焼などにみられる流れをともなう化学反応、ロケットや宇宙機に搭載する手作りの質量分析装置などである。そして、物理・化学・生物の基礎・応用を垣根なく渾然としてとりくむ研究環境、機械工作や電子回路製作のものづくりの腕 といった 宇宙研に蓄積されていた優れた財産があってはじめて、ESIを創始・開発することができたのだ。山下の功績大なりということで、ストックホルムでのノーベル賞授賞式に招待され、授賞式後のステージ上で撮ってもらったフェン先生とのツーショット写真を宝物にしている。

 ESIは生物の体の中ではたらく分子の質量を分析するにはすこぶる重宝することから、医学・生物学などの分野で広く用いられ、またさまざまな派生型もできて発展をとげている。一例をあげれば、フェニルケトン症の新生児スクリーニングにもその力を発揮している。最初にだれがESIを始めたかは、米国フィラデルフィアの博物館(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.chemheritage.org/ )で展示されている初代ESI装置(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.chemheritage.org/discover/collections/collection-items/scientific-instruments/electro-spray-ionization-mass-spectrometer.aspx
に添えられた説明プレートを眼をこらしてみなければ、もうわからなくなっている。しかし、たくさんの研究や検査でESIが役にたっているのを知ると、30年前に雑音のなかからはじめてESIの信号のピークがこんもりと起き上がってきたときの身の震えがよみがえる。

 ちょうど今の自分の歳は、イェール大学で山下とともに それまでの専門にしていた分子線化学といった物理化学とは異なる生物・医学関連の分析化学という新しい分野に(研究費の申請先もがらりと変えて)転身した当時のフェン先生の歳と同じになった。それにならってということもあり、火星など宇宙での圏外生命探査にもESIから派生したイオン化法による質量分析が貢献できないものかと考えている。なぜか他の国の火星などでの生命探査の計画にはこのような構想がまだ組み込まれてはいないので、圏外宇宙での生命発見(長生きすればノーベル賞確実?)への日本の大きな貢献になるだろう。

 ガイム氏による両賞受賞のニュースが好意をもって受け取られていることに拍手している。

 さて、山下はノーベル賞の受賞者、イグ・ノーベル賞の受賞者の双方と共著論文がある。
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://surc.isas.ac.jp/nobel_prize_2002/
2002年来、ひそかにこれを誇りにしてきた。

 山下が共著したイグ・ノーベル賞受賞者は、奇しくもガイム氏とおなじ2000年に生物学賞を受賞したカナダ・ダルハウジー大学のリチャード・ワササグ氏(Richard Wassersug)である。オタマジャクシがヤゴなど捕食者にであったときに、ある化学物質を放出して仲間のオタマジャクシに知らせるという利他行動を行うという仮説がある。オタマジャクシは体の表面すべてで味を感ずるらしい。受賞対象は、生きたオタマジャクシを舌の上にのせて味見したという論文であった。
(American Midland Naturalist, vol. 86, no. 1, July 1971, pp. 101-9.
 ⇒ 新しいウィンドウが開きます http://www.nd.edu/%7eammidnat/

 両ノーベル賞受賞者と共著論文あり と自慢していたところ、山下もオタマジャクシを味見したのかと問われた。イグ・ノーベル賞受賞者と共著した論文は別ネタであり、味見の経験はない。自然児にオタマジャクシの味見をそそのかすのにためらいはないが、真っ黒で小さなヒキガエルのオタマジャクシは、本郷の三四郎池のコイもどうやら好みではないようだから、やめたほうがよいだろう。ヒキガエルは毒をもつから、ひょっとしてそのオタマジャクシもあぶない。

 そして二賞狙いのみなさん、ノーベル賞のあとにイグ・ノーベル賞はいかにもむづかしいだろうから、まずはイグ・ノーベル賞にむけて精進しよう。しかし、二番目で後塵を拝するのはいやというなら、むづかしい順で挑戦するしかない。


追伸

 本文のメールマガジン掲載後の2010年12月10日午後(米国東部時間)にフェン先生が逝去された。享年93歳で、奇しくもノーベル賞授賞式の当日であった。

 1917年にニューヨークで生まれ、大恐慌で職を失った両親が移り住んだケンタッキーの Berea(ビュレア)Collegeにて高校、大学生活を送った。Berea Collegeはアメリカの南北戦争直前の1855年に開学され、アパラチア地方の黒人やスラブ系移民の貧困な家庭の優秀な子弟を学内での就労とひきかえに学費なしで教育するという大学である。
(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://surc.isas.ac.jp/Nobel_Prize_2002/novel0305.pdf

 その後、大学院はエール(Yale)大学に進み、化学で学位を取得した。研究会社などでの勤務をへて、プリンストン大学、エール大学で研究・教育し、その後リッチモンドのVirginia Commonwealth Universityに移った。

 フェン先生はスコットランド系の血をひき、Waste not, want not という伝統から、エレクトロスプレイの研究でも当初はジャンク・ルームから使える部品を集めて装置をつくった。

「理論系科学者として成功するには頭がよいというので足りるが、実験系科学者として成功するには一生にわたり多くの石ころを蹴ってひっくりかえさないといけない。そして運がよければ石の下に何かが見つかる。」

と私たちを励ましてくれてきたフェン先生に哀悼の意を表したい。

(山下雅道、やました・まさみち)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※