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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第302号

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ISASメールマガジン   第302号       【 発行日− 10.07.06 】
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★こんにちは、山本です。

 今週は、宇宙探査工学研究系の宇宙の電池屋・曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。

 「はやぶさ、地球へ!」特設サイトの関係者からのメッセージで、「宇宙の電池屋 〜方探班の一隊員として〜」と題して、3回の寄稿をしていますが、その最後としてISASメールマガジンに書いていただきました。

── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 〜方探班の一隊員として(完)〜
☆02:月周回衛星「かぐや(SELENE)」が明らかにした月内部からのカンラン石の全球表面分布とその起源
☆03:小型科学衛星「れいめい」が、日本航空宇宙学会の2009年度技術賞(プロジェクト部門)を受賞
☆04:JAXA相模原キャンパス特別公開
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★01:「宇宙の電池屋 〜方探班の一隊員として(完)〜」

〜地球か、何もかも、皆、懐かしい。〜
僕が子供のころ、地球を救った偉大な宇宙戦艦の艦長は、最後にそうつぶやいた。
「はやぶさ」が最期に送って寄こした地球の姿を見て、僕はこの言葉を思いだした。


 カプセルが無事に回収され、日本に旅立っていった。僕たちは、ウーメラから撤収するための荷づくりを進めた。僕は、がらんとした作業場の冷蔵庫に9人の顔写真が貼ってあるのを見つけた。そう、去年の6月、はじめてこの地に僕たちが来た時のメンバーは、この9人だったと思う。あの時、僕たちには漠たる不安があり、彼の困難な旅はまだまだ続いていた。

 「神がかり」という表現まで出たカプセルの回収。その時の様子を、また一連の流れの中で感じたことを、僕はどうしても語り残したいと思った。

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 「はやぶさ」の旅も終わろうとする頃、僕達は荒野に散っていった。僕は幾つかある方探班に配されていた。カプセルの出すビーコンをとらえるためにアンテナを組み立て、操作し、カプセルのいる方向を見定めるためことが仕事だった。準備は終わり、僕たちは最後の時を待っていた。

 一年前、僕はとある資料に目を通していた。カプセルの電池はLi-CFxと呼ばれるリチウム一次電池だった。大阪に本拠を持つ電池メーカの製品であり、それを活用させて頂き、バッテリを構築していた。予定外の永い旅の末、この電池はどのような性能を保持しているか。予測は立てられるか。カプセルを回収する際にカプセル電源をONにするまでの運用手順に見直しは必要か。

 あまりに偶然だったけれど、僕がそんなことを考えている正にそんな日に、山田准教授からカプセル回収作業に加わらないかとのお話をもらった。
「山田先生、僕は電池屋の前に宇宙屋です。是非、お手伝いをさせてください。ただ、電池屋として少々気になっていることもあります。後になってご心配をかけないように、個人的に調べておきます。」


 まずは、セル製造メーカ殿にコンタクトすることから始めた。一次電池は放電しかできない。充電することはできない、やり直しのきかない電池なので、性能を把握するには多くのセルを必要とする。更に、今入手できる新品の電池から「はやぶさ」のように長期間旅をしている電池の性能を予測するには、何らかの加速評価試験を行うことが必要だった。いずれにしても、多くの電池と時間を必要とする作業になる。

 「はやぶさ」が帰って来られるかどうか何の保証もない中で、製造から12年、宇宙フライトを7年経験する電池について、性能予測を進めた。「はやぶさ」帰還まで、残された時間は一年。限られた時間の中での無理な相談にも関わらず、大阪府守口市に本拠をもつ電池メーカからの全面的な協力を得て、色々な環境条件でのデータを取得して頂くことができた。日本の電池屋は、熱い。NASAからよく羨ましがられる。

 途中、驚くことがあった。
「曽根君、この電池、使っていいよ。」
12年前にフライト用の電池と一緒に入手された未使用の電池が出てきた。
冷蔵保管されていて保存状態は良好だった。今軌道上にいるカプセル内部の電池の性能予測に十分活用できるものだった。数は限られていたけれど、
「武器は揃った。」

 「12年物の電池」は、正に今フライトしている電池の性能そのものを見せてくれるはずである。だからこそ、「はやぶさ」が地球に近づくギリギリまで放電を行いたくない。電池の性質を短期間にあえて劣化させて長期劣化の予測を行う「加速評価試験」を通じて宇宙にいるフライト電池の性能を予測し、この結果をもってカプセル回収に向けた運用条件を決める際にデータ反映を可能な状態にしつつ、最後には「12年物の電池」の放電を行って妥当性を裏付けよう。「12年物の電池」の放電はギリギリまで我慢することに意義がある。
この評価は、僕たちが日本を発つ直前までの「時間」を必要とした。解析はきっちりやった。山田准教授と、カプセルの設定されるべき温度についても充分に議論した。それでも心配性の僕は不安だった。


 岡田隊長が、本部と連絡をとっていた。
「カプセルは分離されているそうです。」
(よし!・・・来る。)
「曽根先生、久保田先生がお話したいことがあるそうです。」
(何だろう、いやな話でなければ良いけれど。それにしても、隊長、僕のことはソネッチで良いって言っているのになあ〜。ここは現場で、隊長は上位なんだから・・・・。)
「曽根先生ですか、久保田です。カプセルは内部です。」
僕は、イチオクターブ高い声で応えた。
「お聞きしたかったことの、ド真ん中を頂きました。本当にありがとうございます!」
兎に角、その一言で良かった。「内部」とは、即ち内臓電池に電源が切り替わっているということ。電池は生きている!
(よし、いける!)
(コイ!)
(ビーコンよ、出ろ!!)


 その時、現場は慌ただしかった。カプセルは、自分の位置を教えるためにビーコンを出す。ビーコンが出始めてから着地までは十数分しかない。この間、位置特定のためのデータは毎分00秒毎に報告する。これだけのために、・・・この、たかが十数分のために、全ての準備をしてきた。
(アンテナの待ち受け角の設定、よろし。火球確認後、ビーコン発信。入感後は、アンテナを左に旋回。・・・・・・。)
僕は手順を見直し続けていた。

 岡田隊長の声が響く。
「火球、確認されました!」
(来る!)
「コイ!!」
僕はアンテナ操作用のダイヤルに手をかけた。キャラバンカーの中での即席の運用卓では、手の高さがシックリこない。手首の下には高さ調節用に宇宙戦艦ヤマトの単行本を置いた。まだ小学生のときに手にした本は、これまでの人生で常に僕の勇気の源だった。直前に講演会を開かせてくださった静岡県牧之原市の子供たちが送ってくれた感想文も置いた。Tシャツは「あの人」の赤いゲルググ。胸と肩には家族から託されたワッペン。ミスはできない。
Failure is not an option! 全てのモノから力を貰いたかった。
「コイ!」


 画面に表示される時刻を見ながら、僕は言った。
「ビーコン発信予定時刻まで、後、三十秒!」
「え?いや、違いますよ! 後、二分です。」
「曽根さん、落ち着いて。」
「済みません、間違いです。後、一分三十秒!」
(そうだ、落ち着かなきゃあ)
「コイ!」(クル!)
(出ろ、ビーコン!)
僕は、電波を音階に変えてくれる復調音のボリュームを上げた。ザーっというノイズがキャラバンカーの中に響いた。


 そのトキは来た。
ピーポーピーポーピーポーピーポーピーポーピーポー・・・・・・・・・
訓練で聞きなれた音階。唐突にノイズが消えゆったりと穏やかな旋律がキャラバンに響く。

「キター!」
キャラバンにいる3名が同時に叫んだ!

「ニュウカンです!!」
間髪を入れずに本部との交信が飛び交う。僕は宣言した。
「サイド・ローブを確認します。サイド、確認しました。反対側のサイドの確認に行きます。・・・・・・。メイン・ローブとサイドの確認ができました。」
自分が見つけたビーコンの発信源が誤っていないことを、まずは見極めなければならない。発信源の方位が見かけ上の誤り(サイド・ローブ)でないことを確認する作業は勇気を必要とする。その後はメイン・ローブの真ん中をとらえてロックオン。そう、はやくロックオンしないと・・。
「ロックオンですか? 曽根先生、次の報告に、ロックオン、間に合いますか?」
「待って、間に合う、マニアワセル! はい、・・・・・・ロックオンです!!」
「ロックオンしました。」
「ア・ジ・マ・ス・○・○・テン・○・○。グッドです。」

 あとは絶対に外さない! 僕は、鳥海(トリウミ)師匠と並木(ナミキ)師匠に教わったように、エラー感度を伝えるデジタルデータは目安にして、アナログの針を睨んで、スポンジの抜けたキャラバンのソファーに沈み込んだ。カプセルはほんの少し流されたようだ。次の報告時間までにエラーを要求のヒト桁下まで追い込んでみせる!

 僕の動きとは独立して、岡田隊長のデータの読み上げが進む。
「ア・ジ・マ・ス・○・○・テン・○・○。グッドです。」
(よし!)

 いくつ目かの読み上げの時、カプセルがふらついたように感じた。エラーの感度が上がった。
「クッ・・」
思わず声になる。
(大丈夫、次いこう、ツギ!)


 10分ほどが過ぎた。あと何分、彼はデータをくれるのだろうか。永遠に続くように感じる時間。永遠に「続いて欲しい」時間。僕は、口を閉じて、鼻で深く息をして、五感の全てをダイヤル操作に向けていた。
アドレナリンは沸騰していた。

ピーポーピーポーピーポーピーザザザーーーーーー

 入感の時と同じく、その時は唐突に来た。データの質が急激に悪くなり、その刹那、マイクからは雑音のみが流れた。
(終わった・・・、終わってしまった・・・・・。最後まで、追うことは出来た。これで良かったのか・・・。)

 寒いはずの深夜。僕達は外に出た。寒さは感じなかった。みんなが特定した着地点に、ヘリコプターが向かった。60億キロを越える旅の末に、カプセルは僕の目の前、25kmに降りた。遠くの潅木の間に、おそらく回収に向かうヘリコプターが出しているのであろうサーチライトの光が見え隠れを始めた。
その方向は、方探を終えた僕達のアンテナが正に指し示している方角だった。


 まだ気持ちを、テンションを下げてはいけない。もしも、ヘリコプターで見つからなければ、僕達は砂漠を歩いてでもカプセルを探すつもりでいた。現場の陣頭指揮をとっていた國中先生の送ってきたメールには「這ってでも」というくだりがあった。カプセルが本部に届けられるまで、ひいてはヒートシールドを山田先生にひき渡すまで、気持ちを維持し続けなければいけない。

 でも、一つの事をなした実感はあった。僕はコーヒーを手に、キャラバンの外にある椅子に深く座り込んで宙を見上げた。雲はなく、風もない。東の地平から西の地平まで、虹のように橋を渡している天の河銀河を見上げた。
(今、僕に成せることはない。頼みます。)
ヘリコプターに乗っている仲間へ、最後の襷は渡っていた。

 しばらくして、カプセルがヘリコプターから確認されたことが伝えられた。
(すごい、凄すぎる・・・。)


 急に寒さが襲ってきた。方探データのキャリブレーション用にデータを取得し、寝袋にもぐりこんだ。人型をした寝袋で手足の先までキチンと包み込んでくれているはずなのに、指先が凍てつく。寝袋の上からベンチコートをかけ、ネックウォーマーで鼻まで覆い、眠りについた。

 夜明けとともに起きだし、朝ごはんを食べた。お腹が温まると、その気持ちは、急に、来た。
「あ〜あ、燃えちゃった。あいつ、燃えつきちゃったよお〜。」
若い隊長にはあまり見られたくない光景だった。キャラバンから離れて、ブッシュの中で、僕はさめざめと泣いた。

 さらに引き続いて、風読みのプロがヒートシールドの位置を予測し、ヘリでヒートシールドの所在を確認したことが伝えられた。大気球をもつ宇宙研ならではの、風読みの伝承のなせる技だった。

 全ての出来事が鮮やかな流れの中で進んだ。


 「はやぶさ」は、川口プロジェクトリーダーのみならず、僕達一人一人にとっても、子供であり、孫であり、甥っ子であり、弟であった。その子がどうしても生き続けられないと分かったとき、僕達は、彼に地球に突っ込めと命令した。
「お父さん、楽しかったよ。これだけでも受け取って!」
最期の散り際に、地上の潅木が浮き立つほどの閃光を放ちつつ、一筋の光の矢のように小包を放って寄越した。技術屋は断じてセンチメンタルであってはいけない。
「彼は、機械であって、ロボットである。」
そう自分に言い聞かせようとしたけれど、抵抗は無意味だった。安部先生、矢野先生、山田先生、皆さん、後の解析はよろしく頼むね。

 さあ、僕も、彼の残してくれた人類史に残る貴重な遺産を、プロジェクトの片隅に居た一人として、次の世代に繋げよう。


 一日、一日、寒さが募っていた。翌朝、車のフロントガラスは凍っていた。
「はやぶさ」、お前は本当に親思いの子供だった。この寒さじゃ、お父さん達は耐えられなかったかも知れない。

 本当に、お前との時間は、楽し・・・かったよ。

 ありがとう。

(曽根理嗣、そね・よしつぐ)


「はやぶさ」特設サイト、関係者からのメッセージ
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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※