宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASメールマガジン > 2010年 > 第290号

ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第290号

★★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ISASメールマガジン   第290号       【 発行日− 10.04.13 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★こんにちは、山本です。

 週末の暑さと風で、もう葉桜かと思われた管理棟前のサクラは、週明けに出勤してみたら、まだ充分「お花見」ができるほど残っていました。冷たい雨の中、もう少しがんばって欲しいと 応援しています。

 今週は、ASTRO-Hプロジェクトチーム の小川美奈(おがわ・みな)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙研X線グループの出戻り娘?あるいは浦島太郎
☆02:「すざく」で、宇宙最大の構造が成長する現場をとらえる
☆03:今週のはやぶさ君 と 「はやぶさ」軌道情報
───────────────────────────────────

★01:宇宙研X線グループの出戻り娘?あるいは浦島太郎

 4月1日から、宇宙研の日本語正式名称は「宇宙科学研究本部」から「宇宙科学研究所」に戻った。2003年10月1日に、宇宙開発事業団(NASDA)および航空宇宙技術研究所(NAL)と統合して宇宙航空研究開発機構(JAXA)になった時に名称が変わって以来、6年半ぶり。もっとも、戻ったと言っても、宇宙研がJAXAの一組織であることは変わらず、中身は昔とはちょっと違っている。


 私は、1990年代前半(正確に書いてしまうと年齢がばれてしまうので、適当にぼかしておくことにする)に宇宙研の受託院生としてX線天文を学んだあと、NASDAに就職した。その後の、予想外の機関統合と、予想外の人事異動により、1年半前に宇宙研に出戻ってきた。しかも、学生時代と同じX線天文のグループに。


 X線天文学を研究するグループは、私の学生時代には、宇宙圏研究系高エネルギー天体物理学第○部門という名前だった。今は、複雑な組織になっていて、研究・教育を担う高エネルギー天文学研究系と、衛星を扱うASTRO-EII(すざく)プロジェクトチームとASTRO-Hプロジェクトチームにわかれている。組織上の名称がどう変わっても、自分達のことを「X線グループ」と呼ぶのは変わっていない。宇宙研の中はフロアによって雰囲気がちがうが、X線グループが棲息する一角は、どの部屋もドアは開けっ放しで、スタッフや学生が活発に行き来しているのも変わっていない。

 学生時代にお世話になった先生方はみな、所属や肩書きが変わっていても、X線天文コミュニティの中でご健在。学生時代に一緒に机を並べていた先輩や後輩のほとんどが、宇宙研や大学の教職に就いたり、研究所でX線天文の研究を続けている。だから、X線グループでも、コミュニティの中でも、ある年齢以上の人たちは私にとっても顔なじみだ。

 昔と同じ場所、同じ顔ぶれの、同じX線グループに戻ってきたはずなのだが・・・ときどき、自分が浦島太郎になった気分になる。


 学生時代に運用していたX線天文衛星「ぎんが」(ASTRO-C)は、1m×1m×1.5mの直方体に4枚の太陽電池パドルがついたシンプルな形で、重さは約420kgだった。十ウン年ぶりにX線グループに戻ってきてみ たら、運用中のX線天文衛星「すざく」(ASTRO-EII)は、2.0m×1.9m×6.5mで約1700kg。「ぎんが」と比べると、縦横とも 約2倍、長さ、重さは4倍以上! 衛星に載っている観測機器も大型化していて、「ぎんが」を運ぶために使ったコンテナに、「すざく」の観測機器1つしか入らなかったというのだから、驚きだ。

 今わたしが担当している次期X線天文衛星ASTRO-Hは、「すざく」よりもさらに大きくて、約2600kg、長さはなんと約14mにも達する予定だ。宇宙研の試験設備に入り切らないほど大きく、衛星試験は筑波宇宙センターで行う予定になっている。ここまで大きくなると、「ぎんが」と比べてみる気にもならない。X線天文衛星は、いったいいつの間にこんなに大きくなったのだろうか・・・


 衛星が大型になれば、その衛星をつくるプロジェクトに参画する人々もたくさん必要になる。あるいは、参画する人々が多くなってはじめて、大型の衛星をちゃんと作ることができるようになる、と言ったほうがいいのかもしれない。私が離れていた十ウン年の間に、X線コミュニティは驚くほど大きくなっていた。かつての学生仲間があちこちの大学の教職につき、その研究室に学生がどんどん入ってどんどん巣立っていったので、X線天文衛星の計画に携わる機関の数も、人の数も何倍にも増えていたのだ。


 宇宙研のX線グループ自体も大きくなっていた。スタッフ数は微増しているだけだが、学生の数が数倍に増えているように思える。

 私の学生時代には、毎週木曜日の午後に、宇宙研のX線グループだけでなく、東京近郊の複数大学のスタッフ、大学院生が宇宙研A棟6階会議室に集合してセミナーを開いていた。全員が毎回出席していたわけではなかったせいかもしれないが、椅子の数が足りないなんていう事態にはならなかった。ところが、いまでは、X線グループのスタッフ、学生の顔合わせをしようとするだけで、同じ会議室で立ち見がでてしまう。


 衛星とコミュニティが大きくなった一方で、X線天文のデータ解析環境はものすごくコンパクトになっていた。「ぎんが」時代のデータ解析は、大型計算機で行っていた。1人が流せるジョブ(計算)の数が限られていたため、大勢が一斉に解析をすると、なかなか自分の解析が進まなかった。それが、いまでは、パソコン上でも解析を行うことができるようになっている。大がかりな計算機環境がなければ解析できなかった時代に比べて、X線天文の敷居が下がったとも言え、コミュニティ拡大の一助になっているのかもしれない。


 X線グループは、X線コミュニティの一員となる研究者を輩出するだけでなく、宇宙開発を担う企業や団体にも卒業生を送り込んできた。機関統合前でも、2〜3年に一人ぐらいの割合で卒業生がNASDAに就職し、機関統合後も新卒、経験者採用をあわせて1年に1人以上のX線グループOB/OGがJAXA一般職となって、主に地上システムや人工衛星搭載機器開発の分野で活躍している。

 私がX線グループに異動してきてから1年もしないうちに、また一人、筑波宇宙センターから職員が異動してきた。私と同じく、X線グループからNASDAに就職して、またX線グループに戻ってきたという出戻りだ。機関統合により、いままでは違う機関に属していた部署間でも人事異動が行われるようになったので、旧NASDA部署から宇宙研、X線グループへの出戻りが可能になったのだ。


 今春も、X線グループの2人の学生が、JAXA職員として筑波宇宙センターへ巣立っていった。彼らも何年後か、何回目かの人事異動でX線グループに配属になって戻ってきたら、私と同じように浦島太郎気分を味わうのだろうか。

 そのときに、いい意味での変化を感じとってもらえるように、いま私にできることを精一杯やっていこうと思う。

(小川美奈、おがわ・みな)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※