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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第244号

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ISASメールマガジン   第244号       【 発行日− 09.05.26 】
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★こんにちは、山本です。

 相模原キャンパスでは、いろいろな人がはたらいています。今回は、研究室の秘書さんの登場です。

 今週は、宇宙探査工学研究系の西川三千代(にしかわ・みちよ)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:だから安心
☆02:「かぐや」観測を終え、6月11日月面へ制御落下予定
☆03:今週のはやぶさ君
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★01:だから安心

 現在私は宇宙科学研究本部で宇宙探査工学研究系の田島・廣瀬研究室で秘書をしております。きっと皆さんは普通一般に秘書というと、きれいなスーツを着て重役室の前の部屋で電話を受けたり、手帳片手にボスのスケジュール管理をするという姿を連想される事と思います。これに対して研究室の秘書というのは、研究室の出納・旅費などの会計処理や、資料・論文などの文書管理、電話やお客様の応対、時にはダンボール箱を潰したり書籍を束ねて台車で運んだりと多岐にわたる仕事をします。要するに研究や実験で忙しい先生方のよろず雑用係といったところです。私は現在の研究室の前に1994年から1997年まで3年間、同じフロアの別の研究室の廣澤研究室で秘書をしておりました。出産を機に一度引退をしましたが、約6年間のブランクを経て2003年に現在の研究室に再雇用して頂きました。

 再び宇宙研へ戻ってきた時、研究室の様子が一変しているのに驚きました。IT機器の発達と充実に感心したのです。廣澤研にいたころのパソコンは、AppleMacあるいはDos-Vでした。しばらくしてWindowsがようやく登場したのです。データの保存は2HDのフロッピーディスクや、ソノシート(ご存知?)のようなふにゃふにゃしたフロッピーです。PC同士でのデータのやりとりもフロッピーを介してで、ファイルの交換もDos-VとMacの間では一旦テキスト形式に保存するという手間のかかりようでした。インターネットもメールもちょうど普及し始めたところでした。

 それがほんの6年経っただけでなんということでしょう。WindowsがDos-Vにとって代わりMacとの互換性も非常によくなり、データの交換もUSBを介してスピーディーに行え、仕事の効率が格段に上がりました。全てのPCは常時インターネットに繋がっていて、調べ作業だけでなく、業務連絡、申請といった仕事もネットを通してという形態になっていました。廣澤研の頃、資料作成の際はプリントアウトしたものとフロッピーを先生から受け取っていました。今の研究室では、いきなり私が作業する資料が隣室の先生からメールで送られてきて、
先生は私に会いたくないのかしら?
私先生に嫌われているのかしら?
と少し驚いてしまいましたが、その頃にはデータはメール送信が当たり前になっていました。

 たった6年の年月は私がまるで浦島花子のように思えるほど科学を発達させたのです。このままどんどん科学が発達していったらどうなるのでしょうか?私のようなのんびりした人が付いて行けなくなるということにはならないでしょうか?

 廣澤研にいたころ私はバトミントン部に所属していました。部には各国の研究者も多数いました。一時、インド人とパキスタン人の研究者が所属していました。両国の関係が険悪であることは周知の事実です。しかし二人はとても友好的で、周りの心配をよそに楽しく部活動をしていました。ヒンドゥー教のインド人と、イスラム教のパキスタン人。宗教が異なれば食文化も違います。
あるとき、部のパーティーがあり、いろいろな料理が供されました。牛肉を食べないインド人と、豚肉を食べないパキスタン人。私は二人がどうするのか非常に興味を持って見ていました。すると、二人はシーフードピザを食べながら、楽しく歓談していました。余暇を楽しむレクリェーションの中で二人は間にあるはずの壁を越えて歩み寄ったのです。

 二人はプロジェクトの達成のためにそのかせとなるお互いの背景を、仕方なく、あるいは計算高く無視したのではありません。相手の人物だけを正しく知ろうとした結果二人がその背景を無視して互いを認め合えたのです。このことは私の中にとても強い印象として残っています。私はそれは二人が科学者だったからだと思います。科学というのは真理を追究する事です。真理を追究する人だから、相手の背景でなくその人物そのものを知ろうと努力し、そんな二人だからお互いを理解し受け入れられたのだと思います。

 6年間の科学の発達に驚きはしましたが、私は科学に置いてきぼりにされる心配は無いのではないかと思っています。なぜなら、宇宙研にはこのインド人やパキスタン人のような方々がたくさんおられるからです。先生は隣の部屋からメールで資料を送信されても必ず「西川さん」と私をお呼びになって直に指示を下さいます。資料を添付したメールで指示を与えるだけの一方通行ではないのです。それに私がすぐに理解できなくても丁寧に説明されます。私が作業を理解した事を確認して先生も仕事の受け渡しを了解されるのです。また、先生をはじめ研究室のみなさんは、私には解からない難しい研究の合間にそれぞれに豊かな趣味を持ち余暇を楽しんでおられます。研究に関わる問題で論戦を展開しているかと思えば、興味深くお互いの趣味の話題を交換しているのも見かけます。

 この様に人との触れ合いを大切にして相手をよく知ろうとする、何よりお互いを尊重する科学者が宇宙研にはたくさんおられます。だから私はきっと科学は人に優しく発達していくのだと希望が持てるのです。時には暴走したり方向を誤ったりする事もあるかもしれませんが、必ず正しく修正されていくのではないでしょうか。きっと、科学者の皆さんはのんびりした人でも付いていける科学の発達を目指してくれる、宇宙研にいるとそんな安心した気持ちでいられるのです。

(西川三千代、にしかわ・みちよ)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※