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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第216号

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ISASメールマガジン   第216号       【 発行日− 08.11.04 】
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★こんにちは、山本です。

 今年ももう11月です。時間が経過するのが速く感じます。毎週メルマガの原稿を集めるのも大変です。新人を発掘するのもなかなか大変です。近頃 は、若い人たちとの接点が少なくなって、原稿をお願いするのにもちょっと気後れがちです。(ウソダ!と陰の声が聞こえてきそうだ。)

 今週は、宇宙教育センターの平林 久(ひらばやし・ひさし)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:今年のノーベル賞で思ったこと
☆02:内之浦宇宙空間観測所 特別公開
☆03:今週のはやぶさ君
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★01:今年のノーベル賞で思ったこと

 今年は物理学賞を日本人3人、化学賞1人の受賞があって、たいへん喜ばしいことでした。よかったという気分が日本中に流れました。しかし、30年、40年もの昔の研究に対する受賞でした。

 研究者のコメントをみたり読んだりして、思うことがあります。この人たちは、人に言われてがんばったのではないということです。まわりの評価システムがあったのでうまくはたらいたわけではありません。固い評価システムはかえって、独創的な発明、予想もかけないような大発見や理論の芽をつんでしまいかねません。固い評価システムでは、小振りの当たり前のつまらない論文や仕事がふえることになってしまいます。

 評価のいいところもあるでしょうが、すべてをこれでやるといけません。このような評価システムになじまない分野もあることを理解しなければいけません。

 宇宙研のミッションは科学者主導でおこなわれますが、ここでも固い評価システムが万全とは思いません。研究者は上からの命令にのっとって仕事をする人種ではありません。個人がそれぞれがんばっていくのを全体としてゆるくコントロールしていくしかありません。「はるか」のプロジェクトは予算がついてから17年間続きました。あとから考えても、研究者のそういう特性を意識しなければならないと思います。


 素粒子論は宇宙全体にもおおきく関わってきています。それなのに、素粒子論、大統一理論がわかった気がしません。「対称性の破れ」が、またいけません。新聞などの解説を読んでも、解説したことになっていません。解説している本を見ると、こんどは言葉も論理も物理専攻のひとを相手にした書きぶりで、急激にバリアーがたかくなっています。

 なんとかここは物理学会者にがんばってもらって、本質をうまく説いてもらいたいものです。野依先生がキラリティでノーベル賞をもらったときも、この説明がうまく説明されたとは思っていません。「対称性の破れ」に「キラリティ」の問題、実によく似てよくわからない好対ですね。

 ひるがえって私たちは自分の専門分野を他人にうまく説明できるだろうか。宇宙が専門だという衣を着ているわたしたち、実に難しい説明事項がいくつもいくつもあります。難しいことも簡単なことも、ほんとは冴えた説明、冴えた理解が必要だと思います。そうしてファインマンの説明などをなぞってみたりします。

 宇宙研を退職して時間ができたら、しっかり勉強して説明できるようになりたいと思っていましたが、なかなか時間がとれません。現場をはいずりまわって研究生活を送っているいるうちに、大学時代のやわらかい頭はもう遠い昔になってしまっています。


 益川先生のノーベル賞発表直後に、テレビに先生の著書が映し出されましたが、『自然の謎と科学のロマン(上)』(/新日本出版社/ 2003年 ISBN 9784406030335)で、この本は、わたしも共著者のひとりでした。たまたまテレビに居合わせて、あれあれ、と、おどろいて観ましたが、あとで知り合いからも、「観たよ」と言われました。さらに別の日に、「おなじ本をサラリーマンが開くと平林さんの顔写真のページが映ったんだよ」と教えてくれる人もでてきました。しばらくしてその本屋さんからの封書がとどきました。増刷のおこぼれにあずかって印税がはいるという知らせでした。これで、物理の教科書を買おうかな。


 10月後半に、スペースVLBIのロシア版のラジオアストロン計画の会合があって、モスクワに1週間滞在しました。宿泊場所はロシアのアカデミー本部や、アカデミーの研究所がある辺りで、物理学者のランダウはここで研究生活を送ったのだとききました。ホテルの部屋からは化学や物理部門の建物がみおろせました。

 ランダウといえば、わたしたちの若い頃は、ランダウと弟子のリフシッツの物理学教程という教科書を読んだものでしたから、特別な感情をもっています。このごろはよい教科書が増えたせいか、この教科書は書店でみかけなくなり、さびしく思います。

 ランダウは致命的な交通事故にあいましたが、国際的な支援の中で奇跡的に生きることができたときいています。その年、ランダウはノーベル物理学賞を受けたとのことです。そのランダウもある時期、ソ連の暗黒時代の中で一年ほど、収容所に閉じ込められたということです。


 ランダウは事故の後、自分の教科書を読んでなかなか難しいといったとか。ホンとかどうか知りませんが、頭のよくない自分の昔と今を比べると比較になるやらならぬやら、、なんとも、、。

(平林 久、ひらばやし・ひさし)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※