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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第185号

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ISASメールマガジン   第185号       【 発行日− 08.04.01 】
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★こんにちは、山本です。

 今日は4月1日「エイプリルフール」です。そこで、ちょっとウソのようなホントの話を、システム開発部の中部博雄(なかべ・ひろお)さんにお願いしました。

 「はやぶさ」ファンの方のためには、あなたにも作れる「はやぶさ」を用意しました。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ロケット昔話 1
☆02:あなたにも「はやぶさ」が作れるかもしれない?
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★01:ロケット昔話 1

 ペンシルロケットからM-Vロケットまでの52年間、ロケット打上げ成功に至る迄には多くの関係者のご苦労がありました。

 今思えば危険な作業とか、知らないが故の大胆な行動、単純なミス、貴重な経験を積んでM-Vロケットとしては最後となるM-V-7号機は2006年9月23日無事打ち上げられ、その使命を成功裏に終わらせることが出来ました。

 そこで、今だから言える話、失敗談などを大先輩が元気な内に聞き取り調査を行うことにしました。

 現時点で収集した資料の一部を紹介します。今回は退職され第二の人生を謳歌されている東照久(元ロケット班/ISAS)氏と赤岩治(元日産宇宙航空事業部営業)氏の話を紹介します。

 また宇宙開発に携わっておられる方で貴重な体験談がございましたら、当方(nakabe@isas.jaxa.jp)までお知らせ下さい。よろしくお願いします。


■総武線を止める!

 昭和39年頃、K技官が錦糸町にある工場から実験用ノズルを受け取り総武線に乗り西千葉の東京大学生産技術研究所に持ち帰り実験に供する事になっていたが、駅を降りて身軽な自分に我に返った。実験用ノズルを網棚に置き忘れてきたのに気が付いたのだ。

 急いで国鉄窓口に走り紛失届けをしたところ、ロケットを置き忘れた事になってしまい、総武線を止めての大捜索が始まったと言う。
そして、その後の顛末は・・・

 今度本人に会う機会があれば直接確認することにしますが、覚えているかどうか心配です。


■ロケットによる人身事故?

 昭和39年頃、打ち上げ当日、観測ロケットを乗せたランチャーは発射点に移動し、ランチャー上で最終点検を行っていたUさんはタイマ(ゼンマイ式)起動用ワイヤーを知らない間に抜いてしまった。

 おそらく作業をしている時に腕がそのワイヤーに当たったのでしょう。本人は気付かず作業を続行していると、設定された時間にノーズコーン(ロケット先端部のカバー)が開いてしまった。

 その結果、ノーズコーンの側面がまともに顔面を直撃してこぶが出来た。これはノーズコーンを開く力が弱く大けがにならなかったのがせめてもの救いであった。

 それ以降安全策がとられることになった。


■ロケット輸送の関門

 昭和40年、当時ロケットの輸送は国鉄の貨物輸送が主体であったが、国鉄の合理化に伴い各取扱駅が少なくなってきた。つまりロケット荷下ろし場所が、高山から志布志、そして都城と内之浦から遠くなってしまった。
そこで、トラック輸送に変更検討の時期となって来た時代であった。

 当時本州から九州に渡る場合、関門トンネルを通過するコースで問題なく通過できると荷主としては思っていたが、関門トンネル手前で通行不能との連絡が日通よりあり、その理由が良く解らないため道路を管理している道路公団の都内にある事務所に、早速宇宙研の関係者、事業係の秋元氏、ロケット班東氏、日通の関係者、日産赤岩で伺い説明を聞くことにした。

 当時日通の調査も手抜きであったと思うが、その理由とは当時防衛庁の弾薬類等の通行について、1年間の火薬の種類及び数量に関して道路公団に申請しているとの事、宇宙研の場合申請していないので本件に関しては通行不能との見解であった。

 本件は日程も決まっている以上日程変更は不可能との申し入れに対し、規則は規則、なかなか理解してもらえなかったが、後日申請書等早急に提出することで何とか許可を頂いたと記憶している。

 たしか、申請書を提出する際、火薬の種類等について5人位の方一人一人に説明した。合理的でない事務説明で少々腹が立ったと記憶している。
その後のKSC(現 内之浦宇宙空間観測所)の珍事につながっていく・・・


■珍事

 KSCにて搬入、開梱が行われ、ブースタ(第1段ロケット)、メインモータ(第2段ロケット)それぞれ台車に乗せられ恒温室に納まり、まもなくして誰となく「おや?」とか、「あれ?」とか声がしている。

 私も呼ばれ台車上のブースタを見たとき、おかしいことを確認した。と言うのもモータ本体に大きく書かれた文字が、K-9M-16のところK-9M-15と書かれていた。

 今回は搭載機器の関係で16号機が15号機より先に打ち上げられる予定になっていた。

 ロケット班一同「うそー!」とか「なぜ!」と言う声に変わり、その時の納入責任者であった赤岩氏(日産自動車営業)が梱包、発送元の日本油脂川越工場に連絡を入れたら、梱包すべきK-9M-16モータが会社にあるとのこと。「今、そこにあってはいけないんだ!」と赤岩氏は大声でどなっていた。

 ・・・同じ型式のロケットも、号機にあわせて製作しているので、ねじ位置などが微妙に他号機とは異なるため共用出来ない。・・・

 さっそく送り直すことになる。それにしても日産(品管)、日油の人々が大勢いて行う梱包発送作業、発送リストもあったのに、いまだに「なぜ?」と不思議である。

(中部博雄、なかべ・ひろお)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※