宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASメールマガジン > 2007年 > 第132号

ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第132号

★★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ISASメールマガジン   第132号       【 発行日− 07.03.27 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★ こんにちは、山本です。

 先週、この項で迷惑メールの多さをグチッてしまったところ、10人を超える方から感想・応援メールを戴きました。ありがとうございます。

 今週は、ISASのホームページを飾る「宇宙ニュース」が盛りだくさんです。もう少し時間差をつけて発表していただけると、ISASメールマガジンの記事に困らないのですが……
とまたグチッてしまいました。

 今週は、3月末で定年を迎える平林 久(ひらばやし・ひさし)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:「はるか」への感謝の旅
☆02:赤外線天文衛星「あかり」による観測結果
☆03:「ひので」衛星の観測した皆既日食
☆04:太陽観測衛星『ひので』(SOLAR-B)が観測した巨大フレア
☆05:「はやぶさ」の紹介映像公開中!
───────────────────────────────────

★01:「はるか」への感謝の旅

 1997年に打ちあがった電波天文衛星「はるか」は、2005年11月に運用終了し、2006年3月にそのミッションを終了しました。予算がついてMuses-B衛星として計画がスタートしたのは1989年4月の春でした。「はるか」はスペースVLBIに必要な工学実験の検証をおこない、世界中の電波望遠鏡やトラッキング網、相関局を組織した大きな協力のもとに「3万kmの電波の瞳」を構成してスペースVLBI観測を遂行しました。これはVSOP計画として知られました。

 「はるか」は、平成とともに始まった17年間にもわたるプロジェクトだったのです。「はるか」を実現して運用するために、たくさんの人々の情熱が注ぎこまれました。また、世界の多くの研究者や機関が協力しました。そこで、ミッション終了時に、みなさんに心を込めて感謝状をつくりました。井上本部長の名前で出していただきました。

 ながく科学主任を務めてきましたが、ミッション最後の頃はプロジェクトマネジャーをしていたので、感謝状をさしあげる大事な役を勤める必要がありました。ところが、17年間のうちには組織も人もかわっています。お互いの都合を確認しあって、こちらの時間も勘案していくと簡単にはいきません。そこで、なんと1年後の今も感謝状を持ってまわっているのです。


 今年に入ってからを思いだせば……;

 国内でいちばん遠くだったのは、今年1月に訪れた長崎の三菱重工さん。「はるか」のリアクションコントロール系の担当です。海の見えるここでつくられてテストされてきたのかと、しみじみと「はるか」の出生を偲びます。景気のいい造船所を見せていただき、豪華客船の模型を頂きました。「はるか」の名が彫られています。その後の入札でASTRO-Gにも参加してい ただくことになったそうです。

 1月に伺ったNTSさんでは、たくさんの関係者の皆さんおそろいで待っていてくださいました。もう20年近く「はるか」で知り合った懐かしいお顔がそろっていました。ありがたいことでした。また、電波天文受信機で30年以上もおつきあいのある日通機さん、ここでは、時の流れと展開の歴史を感じあいました。

 2月には、二つのメーカーさん、初めて訪れる場所。あらためていろいろなことを学び、メーカーさんの気風と工場の現場を感じます。そして、「はるか」に関わったひとの多さを感じるのです。ASTRO-Gのトラッキング網を組織する会議がマドリッドで開かれました。ヨーロッパの関係者にわたす筒を持って出発です。

 3月に入って……2週間前にはオーストラリアでASTRO-Gに関わる研究協力会議が開かれました。会議に先立って感謝状贈呈セレモニーです。VSOPに協力したオーストラリア3ヶ所の電波天文台サイトへ3通、長く一緒に大事な共同議長をしてくれたDave Jauncey博士に一通、これを2本の筒に入れておりました。アカデミー賞の授与のように、多少は気の利いたことも言わなければさまになりません。大事な貢献にたいしてきちんと礼をいいます。そして腰あたりにもった2本の筒をみせて、おもむろに言います。

「日本のサムライは2本の刀を持っています。一つは長いほう……」
そしてスポンと抜くと、皆さんが喜びます。次はDaveに。

「短い刀は戦いにも使いますが、ハラキリにも使います」
で、ポン。Daveがおびえたそぶりで、皆さんがまた笑う。

 今週は近くの蒲田にあるメーカーさんにも行きました。住宅街の中に会社がありました。そんななかで真摯な会社の技術の心意気に触れると嬉しく元気になります。感謝の気持ちがうまく通じて、おたがいに喜び合って帰れるのはしあわせです。


 2月には、「はるか」打上げ10周年がやってきました。3月には、わたしの定年。4月からは、「はるか」が生み出したといってよい次期スペースVLBI計画(VSOP-2)の「ASTRO-G」がスタート直前です。

 「はるか」の運用停止とおなじ頃、わたしたちはVSOP-2計画の提案をしました。その後の審査、決定、Phase-A移行、概算要求、予算内示、事前審査などのステップを登ってきました。このなかでの、「はるか」感謝状の旅でした。それは、「はるか」を偲び、弔う旅でもあったように思います。

 新田次郎さんは晩年、ポルトガルをとても気に入っておられたそうです。息子の藤原正彦氏が新田さんの亡くなられたあと、その足跡をたどったそうです。ポルトガルには、「サウサーデ」という愛着、懐かしさなどをあらわすいい言葉があるのだと、その著書で知りました。「はるか」の感謝状を持ち歩きながら、こんなことを思い浮かべました。また、亡くなった母の実家のまわりの小さなことどもを目にして偲んでいるような想いがしました。しかし、「はるか」が生きている間は、こんなことを考えているわけにはいかず、気負っていなければなりませんでした。

 大事な人は亡くなっても心のなかにしっかり生きています。退官講演の最後に、冗談めかして、これからは「はるか」を弔って生きようかなんて言いましたが、たしかに自分の役目かなぁなんても思っているのです。

(平林 久、ひらばやし・ひさし)

参考までに
新しいウィンドウが開きます http://wwwj.vsop.isas.jaxa.jp/index.html

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※