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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第101号

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ISASメールマガジン   第101号       【 発行日− 06.08.15 】
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★こんにちは、山本です。

 先週、以前メールを戴いた小学生の読者から またメールが来ました。読めない漢字をお母さんに聞いていたのを、今では自分で国語辞典や漢字辞典を調べているそうです。

 これからも、難解な専門用語はなるべく避けて、解りやすいメールマガジンを目指します。

 さて、今号も『お盆』&『夏休み』モードのISASメールマガジンです。

 今週は、宇宙科学情報解析センターの海老沢 研(えびさわ・けん)さんです。

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★01:サハラの友達
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★01:サハラの友達

 「ドントオフレイド!」と、僕のバイクの後部座席に乗った彼が勇気づけてくれる。"Don't be afraid"のことかな、と僕は思う。彼の名前は何だっけ、サハラの遊牧民ベドウィンで、いつもはモロッコとアルジェリアの国境あたりをラクダと一緒に移動しているけど、時々街に出稼ぎに来るとか言ってたな。決まった住所はないし、パスポートも持っていないとか(国籍はあるのだろうか?)。サハラに向かう途中のガソリンスタンドで、次の街まで乗せてくれないかと、声を掛けられて、僕の1100ccのバイクの後ろに乗せてあげることにした。バイクのヒッチハイカーなんて聞いたことないけど、ここモロッコでは何でもありだ。

 僕は人生最大の失敗を犯しつつあるのではないか、と不安になってきた。そもそも、真冬にジュネーブからサハラ砂漠までバイクで行こう、なんていうのが無理な話だったのかも知れない。ジュネーブの西、雪のジュラ山脈で危険を感じ、引き返して南向きのルートを取り、それでも小雪の降る高速道路をそろりそろりと走って、やっとアルプスを脱出できた。地中海沿いの高速道路では激しい真冬の海風に煽られ、スペインでは雪道を引き返し、モロッコを縦断するアトラス山脈の雪道もなんとか抜けてきて、ジュネーブから五日間かけてやっとサハラ砂漠の入り口まで辿りついた。

 砂漠の真ん中にあるホテルまで案内してあげる、と彼は言ってくれたけど、本当に大丈夫だろうか? 彼が悪い奴だったら身ぐるみ剥がされてしまいそうだし、彼がいなくても砂漠の真ん中で道に迷って凍えて、僕の人生ここで終わりかもしれない。いずれにしろ、今は彼を信頼して進むしかない。それにしても彼の声はとても優しくて、彼を信じていればきっと大丈夫だという気がしてくる。そもそも、初めて会った彼のきらきらとした目を見て、こいつなら信頼できる、と思ってバイクに乗せることにした。砂漠に住むベドウィンは、みんなあんなに澄んだ目をしているのだろうか?

 僕はNASAから派遣されてジュネーブで3年半の任務を終え、アメリカに戻る直前の冬休みだった。ジュネーブの家をやっと引き払い、なんとか短い休みが取れた。ジュネーブで、いろいろな国籍の同僚たちと協力して、ヨーロッパ宇宙機構のINTEGRAL衛星の解析システムを開発する仕事は、苦労も多かったが実にやりがいを感じるものだった。

 NASAで我々が持っている豊富なシステム開発の経験を導入することが目的だったのだが、ヨーロッパ人はアメリカ的なものには訳もなく反発する。また、職場のスイス人やフランス人やドイツ人たちがつまらないことで意地を張り合い、口も聞かなくなってプロジェクトが膠着するのを何度も見てきた。アメリカと対立するためには連携する一方、域内の中小国同士が意地を張り合う。ヨーロッパとはまさにそういうところだ、と身を持って実感できたのは良い勉強になった。一方、僕はアメリカ人でもヨーロッパ人でもない、「和を持って尊しと為す」を美徳とする日本人だ。相手が何人であろうと気にしない。いろいろな国籍の人間の間でなんとか折り合いをつけ、ヨーロッパとアメリカの良いところを取り入れて、そこそこ優れた解析システムを完成させることができた。プロジェクトに対して自分なりの貢献ができたことに満足し、苦労を共にすることで多くの良き友人もできた。ヨーロッパでの生活は十分楽しんだし、アメリカ帰国前に、自分が為すべき仕事はすべてやり遂げた、という心地よい達成感を感じていた。

 しかし、その一方、将来への不安も感じていた。外国暮らしも長くなり、またアメリカに戻ることになったけど、NASAでの仕事は終身雇用ではない。そもそもヨーロッパに来たのも、Astro-E1衛星が失敗して、NASAでやるべき仕事がなくなってしまったからだ。こうやって、いつまでも衛星プロジェクトにぶらさがっているのは危険すぎる。それにヨーロッパに長く居すぎたお陰でアメリカ永住権を失ってしまい、アメリカやNASAにとって僕は便利な外国人労働者に過ぎないのだ、ということもわかってきた。アメリカにはちょっと失望して、日本でISASのポストに応募して返事を待っ ているけど、採用される自信もないし。いったい僕の人生、これからどうなるのだろう?

 バイク乗りとしてアフリカの大地を走り回るのがずっと夢だった。日本では北海道から九州まで、ほとんどの都道府県をまわった。ヨーロッパでは、アルプスの峠をいくつも越えて、フランスやイタリア一周もしたし、ギリシャまで足を伸ばしたこともあるけれども、ヨーロッパを離れる前にどうしてもアフリカに行きたいと思った。

 地図を眺めたら、ジュネーブからスペイン南端のジブラルタル海峡まで約1500km。フェリーでモロッコに渡って、サハラ砂漠まで約1000km。十分バイクで行って来られる距離じゃないか。これができるのは、一生のうち、ヨーロッパに住んでいる今しかない。そう思い立ったら、バイクでサハラ砂漠に行くことが、大型のバイクの免許を取ったり、大学院で天文学を勉強したり、アメリカで宇宙の研究をしたり、今までどうしても実現したいと思って必死で努力して叶えてきた夢のように、僕の人生の中でどうしても実現しなくてはならないことのように思えてきた。それに、サハラ砂漠で星の王子様に会って新たな人生を踏み出したサンテグジュペリのように、僕もサハラに行って無事帰って来ることができたら、進むべき人生の方向が何か見えてくるかもしれない。

 そうだ、思い出した。僕の後ろに乗っている彼の名前はサィードだ。ピストと呼ばれる砂漠のでこぼこ道を、僕はサィードと一緒にひたすら走る。1100ccのオンロードバイクに二人乗りでピストを走るのは無謀だ。真っ暗で標識もない中を、サィードの言うとおりに右に左にとバイクを操るが、僕の両手は激しい振動でしびれてくる。なぜサィードには正しい道が分かるのだろう。空に一つだけ動かない星がある、って言ってたな。砂漠の遊牧民は、北極星を目印にして直感的に方向を知ることが出来るのだろうか。それに、暗闇でもすごく目がいいみたいだ。学校には一度も行ったことがないそうだが、何ヶ国語も話すし、僕が教えた簡単な日本語もすぐに覚えてしまう。僕は小学校から大学院まで、二十年以上も学校に行っていろいろな知識を身につけたけど、砂漠の真ん中では何の役にも立たない。サィードのほうがずっと物知りで頼りになる。

 もう限界だ。手がしびれてクラッチが握れなくなってきた。サィード、ちょっと休もう。僕はオートバイのエンジンを止める。サィードはもうすぐだというが、本当にこのままホテルに着くことが出来るのだろうか? 僕は不安になるが、どうしようもない。とにかく一休みして、気持ちを落ち着かせよう。

 僕は息を呑んだ。全く地上の光も音も生き物も存在しない世界。そこにあるのは宇宙からの光と地平線だけ。ああ、これがサハラ砂漠か。全天を埋め尽くした星、空を真っ二つに分ける天の川、絶え間ない流れ星。観測で滞在したチリのヨーロッパ南天文台で見た天の川も綺麗だったけど、その比じゃなかった。こんなに天の川が濃いものだったとは。僕らは銀河系に浮かんでいる2000億個の星のうちの一つに、たまたま乗っかって宇宙を眺めているんだ。僕は天文学者としてアタマで宇宙の構造を理解しているつもりだし、天の川をX線や赤外線で詳しく観測して長い論文も書いたけれども、研究しながら宇宙の深さを自分の存在と結び付けて「感じる」ことはなかった。

 そうか、サィードは生まれたときから毎日こういう星空を見て、自分の生命が宇宙の一部だということを当たり前のように感じながら育ってきたのだなあ。真っ暗な砂漠の中に彼と二人きりで、何も言葉を交わさずに佇(たたず)んでいても全然緊張しない。ジュネーブからバイクでやってきた日本人が今日知り合ったばかりのベドウィンとサハラ砂漠で星を見ていることが、とても自然なことのように思えてくる。何十年か前に地球上の別の場所に生まれた二人の人間がたまたまここで出会い、また明日には別れて、何十年か後には二人とも消えて元通りになる。ただそれだけのこと、それ以上でもそれ以下でもない。137億年前に誕生した宇宙の中で、46億年前に生まれた地球が、50億年後には宇宙のチリとなって消えていくように…。

 やがて月が出てきて、僕たちの影を映し出す。満月がこんなに明るいものだとは初めて知った。光がない世界を知らないと、光の有り難さもわからない。そうか、サハラ砂漠でサンテグジュペリが見たのは決して特別なものではなく、何もない砂漠を背景として浮かび上がってきた、普段は当たり前すぎて意識することさえない、普通の光景、普段の生活、平凡な人生の有り難さや尊さだったのかもしれないなあ。星の王子様が僕たちに思い出させてくれたのは、宇宙が存在して地球が生まれて、やがて人類が誕生し、当たり前のように僕たちが地球上で生きていることが、実はとっても不思議で素晴らしいことだと言う事実だったのかもしれないなあ。僕もサハラからアメリカに戻ったら、普通の暮らしをしながら、こつこつと宇宙の研究を続けていくことにしようか。世界をあっと言わせるような大発見はできないかもしれないけど、人類が宇宙の姿を明らかにしていく営みに参加して、自分なりに努力してほんの少しでも貢献することができれば、それで十分じゃないか…。

 サハラから現実の世界に戻った僕は、あまり物事にこだわらないようになった。サィードに、普段はどんな仕事をしているの、と聞かれて、NASAで人工衛星を使ったX線天文学の研究をしている、と正直に答えたら、きょとんとしていた。学校に行った事のない彼は、ラクダに乗るのは上手だが、NASAも人工衛星もX線も知らない。そうか、僕の研究や仕事なんて、その程度のものなんだ。サハラ砂漠に住むベドウィンは、何の興味も関心も示さない。もしも僕が自分自身の言葉で、宇宙の研究の面白さや意義をベドウィンに伝えることが出来れば、それこそが本当に意味のあることなのだと思う。それはとっても難しいことだろうけれども。サィードは、お金はないけれども、"Je suis riche dans le coeur"、と胸を張って言っていた。
日本にも全く同じ、「ボロは着てても心は錦」という言葉があるんだ。サハラから帰ってきて、僕は、自分の仕事や生活やお金について、それほど悩まなくなった。

 アメリカに戻ってしばらくしてから、ISASに応募したポストの採用面接に呼び出された。日本に飛んで、自分が今までやってきたこと、もし採用されたらこれからやりたいと思っていることなどを、特に気負うことも緊張することもなく、さらさらと話してきた。アメリカで仕事をしても日本でしても、地球の上だったらどこでも同じだ。日本での仕事はすごく忙しいだろうけど、疲れたらまたサハラに戻ってのんびりと星空を眺めればいいさ。
やがて採用通知が届き、僕は13年ぶりに日本に帰国して、大学院時代を過ごしたISASで働き始めることになった。

 ブラックホールや天の川の研究も続けているけど、日本の人工衛星で取ったデータを、世界中の人々にできるだけわかりやすい形で見せるのが、ISASでの僕の大事な仕事だ。

 人工衛星で宇宙を見ると、地面が邪魔にならないから、全天すべてが見渡せるんだ。目では見ることができない赤外線やX線という光を使うと、全く違った宇宙の姿が見えてくる。赤外線では天の川をずっと深く見通せるし、X線で見ると毎日のように星が激しく爆発している様子がよくわかる。そういう最新の人工衛星データを、サハラの友達にもわかるように、うまく見せることができないだろうか?

 僕が考えているのは、全方向を覆う球形のドームを作って、その中に宇宙を再現することだ。球形ドームの内面に日本の人工衛星で撮った赤外線やX線の全天データを投影して、ドームの中心でそれを眺められるようにしたい。地球に邪魔されず、宇宙遊泳している宇宙飛行士が眺めるような宇宙の姿だ。X線で見た宇宙が激しく変動している様子を、映画のように上映してみたい。このシステムが完成したら、サハラの友達を日本に呼んで、ぜひ見て貰いたいと思う。あの時、君と一緒に見た美しいサハラの星空をうまく再現できるだろうか?

 君はきらきらとした目で、僕たちが作った小さな宇宙を喜んで見てくれるだろうか?

(海老沢 研、えびさわ・けん)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※