第9章 M-Vの衛星たち

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初陣

ASTRO-Fの打上げからしばらくして、ISASニュース「いも焼酎」欄に、赤外線天文学の奥田治之から以下のようなエッセイが寄せられた。

──東の地平線が朝焼けで茜色に染まり始めたころ、一瞬の閃光がきらめき、轟音をとどろかせながらM-Vロケット8号機は明けやらぬ中天の空を急上昇して行った。やがて、上空日の出とともに航跡雲が鮮やかな青白色に輝いて雲間に消え去るのを見送る。ふと我に返ると、遠い昔のことを思い出していた。

私が、小田稔先生のお誘いで宇宙研に来ることになったのは、1980年のことであった。当時、長野県の上松に建設した手作りの赤外線望遠鏡でささやかな地上観測を行っていた自分に、スペースからの赤外線観測など大それたことができるか不安で移籍を躊躇したが、今は故人になられた長谷川博一先生の後押しもあって、やっと決心することができた。宇宙研に移ってはみたものの、教授一人の研究室で、これからどうしたものかと途方に暮れたものだった。技官の成田正直さんと、学振研究生の小林行泰君とで、まずはスタートすることになった。1年後に、京大から芝井広君が助手としてきてくれることになり、また、東大から中川貴雄君が修士学生として飛び込んでくれて、一通り格好はついたものの、本格的なスペース実験など思いも及ばなかった。取りあえず、京大時代から始めていた気球による観測を進めることにした。

ISASニュース「いも焼酎」欄『初陣』

ISASニュース「いも焼酎」欄『初陣』

そのころ、アメリカでは赤外線衛星IRASの打上げ直前で、スペース観測で太刀打ちするのは容易ではなかったが、電離炭素の157ミクロン線を狙うことで特色を出したいと思った。オーストラリアやアメリカへの遠征を繰り返したが、度重なる失敗に涙をのんだ。やっと成功して、銀河面の美しい分布図ができたときの感激は忘れられない。それでも、いずれはスペース実験をと考えるが、極低温冷却が必須では簡単に始めるわけにはいかなかった。そのころは、名大から村上浩君も加わり体制も整ってきていたが、松本敏雄さんらとSFUの一角を借りて、口径15cmの液体ヘリウム冷却望遠鏡を打ち上げたのは1995年であった。幸い、観測機は完ぺきに働き、拡散赤外線の分光観測に成功した。観測時間の制約から、観測範囲が全天の7%にとどまったのは返す返すも残念であった。もしもこれが全天に及んでいたら、IRASやCOBEの観測に匹敵するものになったであろう。同じ年に、ヨーロッパでは本格的な赤外線衛星ISOが上がった。田中靖郎先生のご尽力で、このプロジェクトに参加できることになり、原始銀河の探索などでは興味深い成果が得られた。そのころになって、念願のM-Vロケットを使った我が国初めての赤外線衛星ASTRO-F計画が認められ、名大から移ってきていた松本さんを中心に開発が進められた。

データセンターのドアに、的川泰宣さんが選び周東三和子さんを中心とする実験班が見事に改竄してパロディ化した清酒「初陣」のラベルが貼られているのを見つけた。そこには“Distilled by Dr.Okuda and Dr.Matsumoto”とあった。しかし私はせいぜい蒸米に麹菌をまぶした程度で、杜氏の松本さんを中心に多くの若い研究者の日夜を分かたぬ努力によって、見事に吟醸酒「あかり」が出来上がったのである。冒頭に述べたように、打上げは順調に行われ、現在、衛星は予定の太陽同期軌道に乗って運行している。4月13日に、待望のふた開けが無事行われ、「あかり」に灯(ファーストライト)がともされた。今後の活躍を心から祈りたい。

ただ、心配は消えることがない。特に、打上げ後の運用体制の弱さである。これは今回に限らず科学衛星共通の悩みであるが、観測機の性能を最大限引き出す観測運用と、そこから出てくる膨大なデータを取得、解析するには、あまりにも貧弱な体制で進められている。アメリカでは、内容的にはASTRO-Fよりも単純なIRASの場合でさえ、数十人の専従研究員の解析センター(IPAC)を用意してミッション遂行に当たったものである。それを、我が国では無給の大学院生が支えている。M-Vになって、実験内容の質、量ともに格段に向上している。また、将来計画では、大構想が目白押しだ。これでは、事態はますます深刻になる。

いまや、我が国は世界第2位の経済大国を誇っている。それにもかかわらず、科学研究への投資の低さには驚かされる。確かに、大金をはたいて大装置は作るが、それから成果を引き出す運用、維持の費用は出ない。これでは、仏作って魂入れず、である。こんな不経済な研究投資はない。一体、我が国の膨大なGDPはどこへ消費されているのであろう。また、こんな状態では、科学研究で本来必要なリスク(非予見性)を冒すことが許されなくなり、反対に、してはならない技術的なリスク(安全性の欠如)を犯さざるを得なくなる。研究者の意識も含めてこの点の改善が図られない限り、我が国の科学研究は一人前になれない。

なにやら、花見酒を少々飲み過ぎて考えがまとまらなくなってきたようだ。飲みつぶれる前に筆をおくことにしたい。

それにしても、我が国の赤外線天文学の生みの親、育ての親であった、いまや故人になられてしまった早川幸男先生、長谷川先生に初陣の成果をご報告できないのは、寂しい限りである。──(奥田)

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