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衛星班の長い日

7月4日は、衛星班にとって、本当に長い一日だった。早朝3時12分の打上げに備えて、衛星班が最終準備に入ったのは、スケジュール表によれば、前日3日の19時12分となっている。しかし、何人かのメンバーは、最後の心の準備(?)をするために、3日の午過ぎには、射場に集まり始めていた。

そして打上げ後、日本での第1可視運用を感激のうちに終えたのが4日の22時30分であった。わが国初の惑星探査を目ざし、そして世界の宇宙科学のフロンティアを拡大し、人類の持つ根源的な謎に迫るという期待を担って、PLANET-Bは、「のぞみ」と命名された。

こうした準備の後に迎えた打上げであった。スムーズな打上げ後約30分で、地球の裏側のサンチャゴ局が探査機の電波を受信、続いて、その10分後には、カリフォルニア州のゴールドストーン局も電波を捕らえてくれた。いずれも米国のNASAによる支援で、日本での第1可視が打上げ後10時間半と、ずい分時間が経過してからだから、大変心強い支援である。NASAからの軌道情報を基に、衛星班の軌道計画グループは、軌道制御を行うための準備を開始し、大変忙しくなってきた。

内之浦の初めての可視は、4日の13時40分頃に始まり、約10時間続いた。少し遅れて、14時からは、臼田局にも、電波が入感し始めた。

「のぞみ」の姿勢、各部の温度、電源の状況、1分間に9.6回のスピンなど全て正常で、一つのハイライトである非可視期間中の太陽電池パドルの展開も、無事終了していることが確認された。これら一連の「入感チェック」が終って、初めて衛星班の間に、笑顔が戻った。その後、姿勢を変えるために、ヒドラジン・スラスタを噴射し、更に、新規開発の500Nの二液エンジンを3回にわけて噴射して、軌道の制御を行った。この操作で軌道の遠地点を下げ、周期が15日半の、長楕円軌道に載せた。

そこからしばらくの間、「のぞみ」の日本からの可視は、毎日午後から夜にかけて続いた。2回目の軌道制御は、7月11日。7月20日にかけては搭載観測機器のチェック、8月に入ってからは高電圧の機器の試験も行われた。

さあ次は9月と12月に1回ずつ予定される月スウィングバイだ。

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