第2章 内之浦の登場

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K-8-10ロケット

どんな開発計画でも、成功よりは失敗から、より多くのことを学ぶものである。しかしこのK-8型ロケットの10号機にまつわる事故こそは、わが国の観測ロケットの歴史に、何物にも代えがたい教訓を残した最大級のものであった。

1962年(昭和37年)5月24日。道川の空には雨雲が低く垂れ込めていた。電離層の観測と地磁気によるロケットの姿勢測定を目的とするK-8型ロケット10号機の発射日である。

2週間ほど前に桜が散った。北国の夕ベは肌寒い。17時、タイムスケジュールに入った。黙々と作業は進み、ロケット班が点火系の最後の結線を終え、中間スウィッチをオンにし、通称「三角小屋」につながるコンクリートの小道を退避していったのが、19時30分ころだった。ランチャーの上下角は81度にセット。

19時49分、管制の高中泓澄の秒読みが始まった。そして発射! 轟音!

じっと息を凝らす実験班、砂丘の陰から見守る取材班やカメラマン。しかし打上げ直後の飛翔を見慣れている誰もが、この時「おかしいな」と感じた。

……ロケットが遅い。しかも、闇夜だというのに、ロケットの炎のきらめきが弱い……と思う間もなく、あらゆる人が息を呑んだ。50mほど上昇したカッパロケットがにわかに傾き、まるでスローモーション・フィルムのように落下しはじめたのである。多くの人が幻覚を見ていると思った。

しかし幻覚がもろくも崩れ去るのに、さほどの時間は要らなかった。強烈な閃光と爆発、そして耳をつんざく轟音。人々の意識は現案に引き戻された。飛び散るモータケースの破片、四散した推薬から上がる紅蓮の炎、実験班詰め所のけたたましいサイレン。そして1段目の上半分は2段目と繋がったままで右よりに低く飛翔し、三角小屋の沖合、海岸線から15mほどの海に突っ込んだ。

2段式ロケットならば、第1段が燃えた後、第2段に火がつくのを願うのが晋通である。だがこの時ばかりはみんな不点火を願っただろう。その祈りも空しく、海に落ちた2段目のモータは30秒後に着火、やがて「ゴーッ」という燃焼音とともに、ロケットは実験班の頭上を越えて砂丘の方へ飛んで行った。

折しも三角小屋では、居合わせた全員が奥の大型クーラーと机の間に頭を突っ込み、お尻を海に向けて「恐怖のスクラム」を組んでいた。破片の一部は海岸から300m離れた民家まで飛び散り、数カ所から火の手があがる。ハンテン姿の消防団員が一台しかない消防ポンプを押して駆け付ける。戸数百戸足らずの集落は、蜂の巣をつついたような喧騒と驚愕に包まれた。

約1km離れた所から監視していた高木昇は、実験場全体が火の海に見えた。これは全滅かと思った直後、依然として秒読みが続いていることに気付いた。

「122、123、124、125、…」ピンチに動ぜぬ高中の冷静無比の声であった。

──あ、少なくとも一人は生きている!

幸いにして一人の負傷者もなかったが、この経験はその後のロケットの安全設計に全面的に活かされ、以後類似の事故は皆無である。ただしこの事故が地元民に与えた衝撃は大きく、一部の人々に精神的動揺が見られたのみならず、安全距離についての調査の結果、道川実験場では危険防止の上で多額の必要経費が見込まれることもはっきりしてきた。かくて道川で予定されていた数機のロケット実験は中止され、ロケットの飛翔の舞台は、すでに建設が始まっていた鹿児島県の内之浦だけに限定されることになった。

K-8型ロケットの10号機

K-8型ロケットの10号機

爆発の瞬間

爆発の瞬間

事故調査

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