第2章 内之浦の登場

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調査の開始とおはぎ

1961年2月、生研の丸安隆和を中心として調査測量が開始された。この年の冬は、南国にしては寒い内之浦であった。候補地の長坪地区は、丈なす草と潅木に覆われており、町の人々が草木を切り開いてくれた県道からの細い道を、借りた鎌で立ちふさがる草を薙ぎ倒しながらの調査行となった。

30分たっても10mくらいしか進めない。1時間たち、2時間たち、汗水たらした調査班の人々の顔に絶望の色が見えかけてきた時、後ろから「先生、まあ少しお休みください」と、田中キミ率いる内之浦の婦人会の女性たちの声。手にはたくさんのおはぎが。そのおはぎを頬張った丸安は、この難航にもかかわらず、ここをロケット発射場にしたい、との決意を新たにしたそうである。

部落の小さな水田に横たわった石の上に立って、ロケット発射場建設について詳細な説明が調査班からなされ、町長の久木元は部落の将来と発展を説いた。好意と協力の心に溢れた人々の顔を、丸安はこの後もいつまでも忘れがたく憶えていた。

まったくのところ、ロケット発射場建設のように大規模な事業は、周囲の人々の暖かな対応がなければどうにもならない。調査班とおはぎのこのエピソードは、内之浦の人々の心のぬくもりをよく物語っている。元気づいた一行はさらに前進をつづけた。

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