第2章 内之浦の登場

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内之浦に現れた糸川

1960年(昭和35年)10月24日、糸川と生研の下村潤二朗事務官が現地調査に内之浦を訪れ、久木元峻町長に面会を求めた。「東大の偉い先生が来る」というので、町長や婦人会長の田中キミらが内之浦の入り口で出迎えたが、いつまでたってもそれらしいタクシーが来ない。そのうちさっきやり過ごしたタクシーが町の奥から引き返してきた。あろうことか、タクシーの運転席に乗ってハンドルを握っているのが糸川であり、プロの運転手は助手席に座っていたのである。

鹿屋の旅館で糸川たちはタクシーを呼び、「内之浦まで」と依頼したところ、運転手が「あそこは道が悪いから行きたくない」と言う。そこで「タクシー料金ははずむから」と重ねて言うと「道をよく知らない」と言い出した。その後の展開が糸川らしい。「それなら私が運転するから、あなたは助手席に」──これには運転手も同行の下村も呆気にとられたらしい。この辺り、糸川の面目躍如たるものがある。しかし内之浦の人々は、当の糸川がまさか運転席に座っているとは思わないから、うっかり見過ごしてしまったという次第であった。

池田荘という旅館に案内された糸川は、いきなりここにロケットの実験場を作りたい、と切り出した。町長の久木元峻は、はたと困惑した。アメリカの例に見るような広大な地形どころか、狭い山がちな耕地しか持ち合わせのない内之浦に、ロケットの発射場に適する所などないと思われた。平地らしきものは農家の田畑くらいで制約の多いことおびただしい。

土地の事情を説明する久木元の固辞にもかかわらず、糸川の意向は変わらず、「何よりも先に現地を見たい」という二人を、久木元はまず海蔵の半島へ案内した。「台地を切取って造成すれば……」しかし糸川は、海蔵の狭さと発展性に欠けそうな所が気にいらなかった。次に岸良の海岸へ行ったがこれも気にくわない。糸川の心中は忸怩(じくじ)たるものがあったろう。1年近くかけて全国を踏破し、発射場の適地を求めたが、ついにこんな九州の最南端に来てしまった。しかも今きている内之浦近辺の海岸は山また山である。

仕方なく帰路についた糸川は、尿意をもよおして車を止めた。長坪の峠であった。広大な太平洋に向かって土手の上から高々と虹を描きながら、糸川の頭に天啓のように閃くものがあった。瞬間「ここだ!」と決意したという。「ここをちょっと調査してみましょう」という糸川の言葉に、下村は「また糸川先生の気まぐれが始まった」と思ったらしい。平地が全くなく、お椀をいくつも伏せて並べたような地形である。しかも背後にある峠には岩石が切り立ち、到底問題になる土地には見えなかった。

しかししばらく草原を歩き回って、糸川の意志は九分通り決定したかのようであった。しかし下村は、「あの山を削って発射場にしましょう。あっちの山は少し高い所にあるから削ってレーダーの台地にしたらいい。こっちの丘はコントロール・センターかな。そうだ、山を削ってできた土を道路の造成に使えばいいじゃないですか」と、たてつづけに構想をまとめてしゃべる糸川の声を夢のような気持ちで聞いていた。

──糸川先生は気がちがったんじゃないか ……。

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