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ISASニュース

「かぐや」に貢献した飯島祐一氏を悼む

No.382(2013年1月)掲載

太陽系科学研究系助教の飯島祐一氏が2012年12月7日に逝去されました。44歳という若さでした。飯島氏は月周回衛星「かぐや」の成功に関し、「縁の下の力持ち」的存在で多大なる貢献をされました。世界に誇る超一級のデータをほぼすべての搭載機器で取得できたのは、彼のおかげと言っても過言ではありません。

病気療養中においても、治療を続けながら新たなプロジェクト、「SELENE-2」および「はやぶさ2」の立ち上げに大きく貢献されました。

特にSELENE-2プリプロジェクト活動が本格化し、「かぐや」に劣らないほどの大きなシステムであることを踏まえ、「かぐや」で実績を積まれた飯島氏は不可欠の存在でした。あまり無理なことはお願いできませんでしたが、「かぐや」の実績に倣って搭載機器の取りまとめとしての「ミッション系」を立ち上げ、中核的な立場として参入していただきました。サイエンスを達成するための妥協を許さない態度と開発を大きく進展させる機知に満ちた、さらには実現可能なアイデア、先を見越したシステマティックな開発シナリオの提案などは、ミッション系メンバーのみならず、搭載機器開発者全員の脳裏に大きく焼き付いており、今後の開発の大きな指針を築いていただきました。私自身もこの数年間に多くのことを彼から学ばさせていただきました。

彼との間でやりとりした個人的なメールをいま一度読み直してみました。飯島氏は比較的私と年齢が近いこともあって、フランクに話せる同僚でした(大学の同じ研究室の後輩でもあります)。かなり好き放題なことを言い合っていますが、どうやってプロジェクトを成功させようか、次にどう手を打とうか、というものばかりです。あの時々のやりとりがとても懐かしく、かつ今でも新鮮に思われます。その熱意は飯島氏の病状が悪化するほど強く感じられるのです。このことは、飯島氏は決してあきらめることなく最期まで闘われたことを確信させます。

飯島氏の月惑星探査への熱意と実績に敬意を表すとともに、飯島氏に笑われないプロジェクトの創成と確実な遂行を誓うことをあらためて思う次第です。

(田中 智)