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宇宙科学の最前線

宇宙用半導体集積回路の開発 宇宙・民生共使用戦略 宇宙探査工学研究系 准教授 廣瀬 和之 宇宙情報・エネルギー工学研究系 教授 齋藤 宏文

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 現在軌道上で活躍している科学衛星はエレクトロニクスの塊といってよいほど、半導体高集積回路(LSI)の果たす役割がとても大きくなっています。ところが、高機能な宇宙用LSIのほとんどは海外から輸入しているのが現状です。我が国で1年に1機程度を打ち上げる科学衛星に必要なLSIの数は、パソコン用に必要な数と比べておよそ6桁も少ないことから、日本では宇宙用LSIを独自に開発・製造する体制を維持することはとても困難だからです。一方、高機能な民生用LSIは宇宙環境の厳しい放射線に対する耐性に不安があります。それをそのまま衛星に搭載することは運を天に任せて宇宙科学を進めるようなもので、高い信頼性が要求される高度なミッションでは適切ではありません。では、第3の戦略はないものでしょうか?

 私たちは、宇宙用と民生用の共使用にその答えがあると考えました。宇宙用LSIの開発で最も厳しい課題は放射線耐性です。近年、民生用LSIの微細化が極限にまで進んできた結果、民生用LSIの開発でも同じ課題が顕在化してきたことから、共使用の可能性が出てきました。

 1996年、微細化の進む民生用LSIで、パッケージ内部の不純物材料から発生する放射線問題に加え、地上に降り注ぐ宇宙線に起因する中性子線の問題が顕在化し、放射線による障害の中心的なものであるシングル・イベント・アップセットが危惧されることが、IBMより報告されました。シングル・イベント・アップセットが起きると、LSIに記憶したデータが書き換わってしまい、誤動作につながります。特に自動車、建設機械、航空機関係では、機械環境や温度環境が厳しいばかりでなく、人命に関わる点から高信頼性、中でも高い放射線耐性が強く望まれています。このような分野と宇宙分野が協調してLSIを開発し製造ラインを維持していく共使用戦略を、私たちは考え出しました。


宇宙用LSIの目標仕様

 共使用を目指したLSI開発のパートナーとして私たちが選んだのは、宇宙・自動車・建設機械のエレクトロニクスを幅広く開発する三菱重工竃シ古屋誘導推進システム製作所で、開発を開始したのは1999年でした。私たちは、まず宇宙科学コミュニティが要求する目標仕様を明確にすることから始めました。そしてLSIの目標仕様を達成するために最適な設計技術・回路技術・製造プロセス技術を一つ一つ選択していきました。

 宇宙用のLSIを開発する上で最も重要なことは、目標仕様を決定するに当たって処理速度/消費電力/放射線耐性のトレードオフを考えることです。放射線耐性の強化は、耐性レベルに応じたチップ面積の増大だけでなく、処理速度の低下や消費電力の増加を招くことになり、民生用の半導体集積回路の開発では見られない難しさがあるのです。図1にLSIの中で最も高機能なマイクロプロセッサー(MPU)の処理速度の発展史を示します。このようなトレードオフのために、宇宙用MPUは民生用MPUと比べ、同時代には処理速度が遅いことが分かります。

 トレードオフを考えるためには、まずミッション要求を把握しなければなりません。科学衛星・惑星探査機に搭載するLSIに要求されることは、3軸姿勢制御を含む自律的な衛星運用機能や、膨大な観測データを処理して可視時間に地上局に転送ができる処理速度、小型衛星で発生するわずかな電力で賄える消費電力、低軌道を周回する宇宙ステーションに要求されるより高い放射線耐性などです。いたずらに処理速度の最大化や放射線耐性の最大化を目指すのではなく、この3者のトレードオフを考え、MPUの開発目標は処理速度100MIPS、消費電力1W以下、放射線耐性は世界標準となりました。


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図1 宇宙用マイクロプロセッサー(MPU)と民生用MPUの処理速度の発展


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