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宇宙科学の最前線

宇宙(そら)に航路を拓く

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軌道を描く、ミッションを創る

 月周回衛星「かぐや」や小惑星探査機「はやぶさ」のように、地球から遠く離れた天体に到達し、さまざまな新発見を我々のもとへ送り届けてくる深宇宙探査機は、宇宙科学の花形です。目的地まで打上げロケットに送り届けてもらえる地球周回の衛星とは違って、深宇宙探査機は目標天体まで自分の力でたどり着く必要があります。地球を出発してから目標天体に到着するまでに(場合によっては再び地球に帰還するまでに)探査機が航行する経路を決めることは、その探査計画の第一歩になります。探査機が航行する経路のことを「軌道」と呼び、それを設定する作業を「軌道設計」と呼んでいます。その軌道設計が、私の仕事です。

 軌道を設計すると、打上げ時期や、目標天体への到着時期、つまり探査計画の主要スケジュールが決まります。これは探査の実施を決定するに当たっての重要な情報になります。また、軌道を設計すると、打上げロケットに要求される打上げエネルギーや、目標天体に到着するまでに必要な推進薬量が決まります。これらは探査機の規模を決める重要な設計要素になります。また、軌道を設計すると、航行中の探査機と太陽・地球との距離、探査機から見た太陽・地球・目標天体との位置関係が決まります。これらは探査機の電力、熱、通信、機器配置について重要な設計条件を与えます。つまり、軌道設計とは、単に宇宙に線を描くというだけの作業ではなく、さまざまなことを考慮に入れて、探査計画・ミッションを創り上げていく重要な作業なのです。このことから、軌道設計の作業は、しばしば「ミッション設計」とも呼ばれます。


軌道設計の限界、そしてスイングバイ

 何もない宇宙に探査機の軌道を描くのは、白いキャンバスに絵を描くように自由なこと、と思われるかもしれません。しかし、実はあまり自由度はないのです。

 17世紀にケプラーが発見したように、太陽系を運動するほとんどの物体の軌道は、太陽を焦点の一つとする楕円を描きます。探査機も例外ではありません。人工の探査機が自然の天体と異なるのは、その速度を意図的に変えることで軌道を変更できる、という点です。例えば打上げ時、探査機は打上げロケットによって大きな速度を与えられます。これにより探査機は地球の公転軌道を離れ、目標天体に向かう軌道に投入されることになるわけです。もちろん、探査機に搭載した推進系を用いれば、好きなときに探査機の速度を変えて軌道を変更することができます。「はやぶさ」で使用されたイオンエンジンや、計画中のソーラーセイルなど、連続的に推進力を発生する探査機の場合もこれに当たります。

 ところが、これらの方法により実現できる軌道変更は、とても限定的なのです。例えば、地球の公転速度は秒速約30kmですが、これらの方法により実現できる速度の変更量(増速量と呼びます)は特別な場合を除けば、たかだか秒速数km程度なのです。つまり、例えていえば、太陽の重力場という強力な渦潮の中で、小さなオールしか持たない小舟を操るようなものなのです。先に「軌道設計にはあまり自由度がない」と書いたのは、そういう意味です。

 ところが、実は、ここまででまだ触れていない軌道変更の方法があります。それが「スイングバイ」です。スイングバイとは、探査機が惑星(あるいは月)のそばを通るときに、惑星の重力により探査機の速度が変化することを利用して、軌道変更を行う手法です。スイングバイを用いることの最大の利点は、推進薬をほとんど消費することなしに、探査機の速度を大きく変更できることです。さらに、スイングバイ後に再度、同じあるいはほかの惑星に接近するような軌道を設定できれば、何回でもスイングバイを用いることができます。スイングバイを用いることにより、軌道設計の自由度は大きく広がります。一方、スイングバイを用いることの難点の一つは、スイングバイのために回り道をすることで、目標天体に到達するまでに要する時間が延びる場合があるということです。もう一つ忘れてはならないのは、スイングバイを用いる軌道設計は難しい、という点です。目的に合わせてスイングバイの時期や条件を設定したり、必要に応じてほかの軌道変更方法と組み合わせることまで考慮に入れなければならないからです。日本では、1987年に「さきがけ」探査機が初めての地球スイングバイに成功しました。その後「ひてん」「GEOTAIL」「のぞみ」「はやぶさ」の探査機ミッションで、月・地球によるスイングバイに成功しました。実は、スイングバイについてこれだけの実績を持つ国は、日本を除けば米国しかありません。旧ソ連、ヨーロッパでもスイングバイを用いた実績はあまりないのです。スイングバイは、日本のお家芸といってもよい技術なのです。



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