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宇宙科学の最前線

使いやすく将来性のある無毒液体推進系〜宇宙輸送の新時代を切り拓く〜

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きっかけ

 学生の教育に使える安全な液体推進系を考えてもらえないか。同門のよしみで、大先輩から相談を持ち掛けられたのは、ちょうど5年前の2002年。その4年前、1998年の春から始まった再使用ロケット実験(RVT)で液体ロケットを触り始めたばかりの私には、少し荷が重い気がしたが、「学生の教育に使える安全な液体ロケット」というのは新しい切り口で面白い。一丁やるか、と羽生宏人くんや研究室の学生さんに声を掛けて推進剤の選定から始めました。ところで、なぜ「安全な液体推進系」なのかというと、将来宇宙輸送技術による実践教育をモットーに、自在に軌道を作り出せる再使用型のロケット実験機や宇宙船の軌道制御エンジンをイメージしていたからです。

推進剤の選定

 「推進剤」とは、推進力を得るために燃焼させる薬剤のこと。酸素をたくさん含んでいて「燃料」を燃やす働きをする薬剤が「酸化剤」です。飛行機や自動車は酸化剤として大気を利用するので、燃料だけを積んでいます。

 学生教育に使えるほどの安全性となると、無毒であることが第一条件です。エンジンを実際に機体システムに組み込んで運用するところまでを教育プログラムにしようというのですから、実際に見て、においをかいで、触ることができるものがよい。すると、酸化剤について選択肢は限られます。燃料としては、一般に出回っている「燃料」がすべて使えそうです。いくつもの組み合わせが考えられるので、もう少し限定して、無毒の程度を「基本的に人体に取り込んでも安全なもの」とし、さらに扱いやすい物性として「常温貯蔵可能なもの」としました。するとその究極の組み合わせは、酸化剤が亜酸化窒素(N2O)、燃料がエタノール(C2H5OH)の一組に絞られました。

 N
2Oは医療用の麻酔薬やホイップクリームの泡立て剤などとして使われる安定な物質で、食品添加物としても認可されています。一方、燃料のエタノールは「酒精」とも呼ばれ、人様の重要な嗜好品にたくさん含まれています。両者とも体に取り込むのは基本的に問題ありませんが、甘いにおいで気持ちよくなったり、場合によっては乱れたりするので、「過ぎるのは禁物」です。

 人に対する安全性ばかりでなく、ロケットエンジン用推進剤としての特性も実用に適するものでなければなりません。このN
2O/エタノール推進系は貯蔵性液体推進系の範疇に入るので、現行の四酸化二窒素:NTO(N2O4)/ヒドラジン(N2H4)推進系との優劣を論ずる必要があるでしょう。まず、同じ流量の推進剤を消費しながら発生できる推進力は10%ほど小さく、さらに密度が20%以上小さくなるため、少しかさばります。それからNTO/ヒドラジン推進系は、酸化剤のNTOと燃料のヒドラジンを混ぜただけで直ちに着火する「自己着火性」という便利な性質がありますが、N2O/エタノール推進系は混ぜただけでは火が付かないので、点火装置を別に持っておく必要があり、エンジンの仕組みが少し複雑になります。ただし、以上の短所は、実用を不可能にするほど決定的なものではありません。一方、優れている点は、ほぼ無毒で取り扱いが楽なことのほか、かなりの低温環境でも使える可能性があること。N2Oの凝固点は−91℃、エタノールのそれは−114℃です。これらに対してNTOの凝固点は−12℃、ヒドラジンは1℃ですから、宇宙探査機に搭載する場合、ヒーターが必要になります。例えば木星探査ミッションの場合、環境温度は−50℃とされているので、N2Oとエタノールの組み合わせならヒーターなしでも運用できる可能性があります。以上のことから、N2O/エタノール推進系は、控えめな性能で低温環境適合性に優れる、ほぼ無毒の貯蔵性液体推進系ということができます。

 さらに踏み込んで、発展性や将来性について。エタノール燃料については近年、再生利用可能なバイオエタノールが地球温暖化防止の観点から、化石燃料の代替候補の一つとして注目されています。自動車の燃料としては確立された技術があるので、地上の輸送系との燃料共通化の観点で将来は明るいと考えられます。将来、宇宙においてスペースコロニーが実現したら、農作物と併せて生産することができるようになるでしょう。一方N
2Oは、地球温暖化で問題となっているCO2の300倍以上の影響を与える温室効果ガスとして、排出規制の対象となっています。しかしながら主な排出源は森林など自然界で、人為的に発生する量は相対的に少ないのです。もちろん、温室効果ガスの生成と分解のバランスが損なわれたのは、森林伐採や化石燃料の大量消費によって成り立っている人類の活動が原因であることは間違いなさそうですから、排出を抑える努力は必要です。適当な分解触媒を使うと、窒素(N2)と酸素(O2)に分解しながら熱を放出して理論上約1600℃の混合ガスを発生します。この特性は、温室効果ガスとしての働きを抑制できることのほかに、さまざまなエネルギー源、酸素供給源などとして使えそうです。発生した酸素ガスとエタノールで燃料電池によって小電力の発電ができますし、さらにその熱を使いエタノールを効率よく分解して水素ガスを取り出せば(参考文献1)、もっと大きな電力を起こすことも可能になります。これらの考え方は、「N2O/エタノール・エネルギーマネジメントシステム構想」として宇宙で実現したいと考えています。有人の宇宙ステーションや宇宙船における推進系、エネルギー供給系、生命維持システムの統合化について、先駆的かつ独創的な提案ができることは間違いありません。



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