はじめに:「あかつき」

「あかつき」は2010年5月に打ち上げられた金星探査機です。同年12月の軌道投入失敗の後、生き残った姿勢制御エンジンを使って、2015年12月に軌道投入に成功し、以来金星を周期10日ほどで周回しながら、観測を続けています。紫外線から赤外線の様々な波長で撮影して大気や雲などを観測する、いわば金星の気象衛星です。

筆者は気象学者です。「あかつき」科学チーム内では、雲を追跡して風を推定し、それを使って金星大気の力学を研究しています。探査機本体や搭載機器の開発には関わっていない身ですが、僭越ながら、「あかつき」のこれまでの科学成果を紹介します。

金星の気象と気候

大気をもつ太陽系の地球型惑星には、地球のほかに火星と金星があります。現在の地球の大気しか知らなければ、それに縛られた発想になりがちです。地球以外の惑星の気象とその仕組みを知ることは、地表面のある惑星の大気を広い枠組みで理解することに役立ちます。それは、地球大気の将来の可能性に対する知見にも、生命を育む惑星の大気のありようの可能性についての知見にも繋がります。

地球以外の2つの惑星のうち、火星の大気の理解はより進んでいます。地球大気とは組成(CO₂が主)も地表気圧(地球の1%弱)も大きく違いますが、移動性高低気圧や低緯度から中緯度に向かう大規模な大気循環が存在し、大気潮汐や砂嵐があるなど、多くの面で地球の気象と本質的に同じ現象が、違った形やスケールで展開します(例えば火星の砂嵐は、時に火星全体に広がります)。

それに対して、金星にはそもそもどのような気象があるのか、あまりわかっていません。図1は、後に「あかつき」として実現される金星探査機を提案した「金星探査計画提案書」(2001年)の中の図の一つです。「金星気象オービターからのグローバルな観測によって、果たしてどのような大気運動が姿を現すだろうか。」とありますが、さて、観測を始めたらどんなことがわかったか、まだ途中経過ですが、本稿で紹介します。

図1

図1 「金星探査計画提案書」(2001年)中の図の一つ。同文書における見出しは「金星気象オービターからのグローバルな観測によって、果たしてどのような大気運動が姿を現すだろうか。」です。

金星大気は地表面付近での気圧が高く(約90気圧)、気温も高い (約460℃)ことは、つとに知られていますが、金星大気に関して近年有名になりつつあるのが、「スーパーローテーション」です。金星の自転は、一回転に243日かかるゆっくりしたものですが、大気は自転と同じ向き(ちなみに地球と反対で西向きです)に、より高速で回転しています。その速さは、地表付近から高くなるほど増し、高度70 km付近では約4日で金星を1周することが、20世紀に行われた突入観測などからわかっています。これがスーパーローテーションです(自転を「上回る回転」という意味です)。この現象がどのようなメカニズムで生じるか、説はあるもののまだ解明されていません。

「あかつき」の主な観測ターゲットは金星の大気と雲です。金星の雲は硫酸を主成分とし、高度45-70 kmに分布しています。この分厚い雲に覆われた金星にはどのような未知の気象があるか、それはどのような力学に支配されているか、そして、スーパーローテーションはどのように生じ、どのように維持されているかを明らかにすることが、「あかつき」プロジェクトの主な目標です。以下では、これまでの成果を駆け足で紹介します。

「弓状構造」の発見とそれがもたらしたもの

「あかつき」は2015年12月7日に金星周回軌道に投入され、それから数日間、金星の画像を何枚か撮りました。とくに、投入直後の撮影は、もしも再度投入に失敗しても金星のクローズアップ写真が撮れるようにと計画されたものです。2日後の12月9日に、最初に得られた画像を公開する記者会見が行われました。この日は、「あかつき」科学チーム内でも、記者会見でも取りあげられたひとつの画像(図2)についての話題で持ちきりでした。それは、LIRという、天気予報でおなじみの気象衛星「ひまわり」の赤外画像と同様に中間赤外線で撮影するカメラがもたらしたものです。そこには、これまで誰も見たことのない弓型の模様がくっきり写っていました。LIRの観測からは雲頂の温度がわかりますが、それは雲の高さを反映するので、雲頂が弓なりの山脈のようになっていることを意味します(ちなみに、同様な観測による、「ひまわり」の画像では、温度の低いところが白く表現されています。上空は気温が低いので、雲があるとそこが白くなるという仕組みです)。この「弓」は、南北両半球にまたがり、長さは約1万kmに及びます。

図2

図2 「あかつき」の軌道投入直後にLIRによって撮影された中間赤外画像(速報に使われた画像)。自転軸が少し傾いた状態で写っています(画面下の白っぽいところは南極付近)。

その後の数日間の観測により、この模様は金星の風に流されず動かないことがわかりました。動かない雲模様は、はるかに小規模なものなら地球でもよく発生します。それは、山岳波と呼ばれ、浮力を復元力とする「大気重力波」と呼ばれる波の一形態です(一般相対性理論による重力波とは全く別物です)。金星の弓状構造も、地球では観測されたことのない巨大なものながら、山岳波であることが明らかになりました※1。実際、弓の中央の下、赤道あたりに、アフロディーテ(ビーナスのギリシャ名ですね)高地という4,000m級の広い高地があります。

しかし、このような山岳波の存在は、かなり考えにくいことでした。山岳波は、山越え気流の上下動によって生じますが、過去数回の突入観測からは大気下層にほとんど風がないという結果が得られており、それをもとにシミュレーションを行うと、やはり山岳波はほとんどできなくて観測が説明できません。また、スーパーローテーションの長期安定性を考えると、低緯度の風は、(弱いながらも)基本的には地球の貿易風と同様に自転と逆向きが卓越すると考えられますが、それは金星で山岳波が上空に到達できる条件とは反対です。

このような困難があるということは、裏を返せば、今までの知見が不十分であったことを示唆します。つまり、弓状構造の存在は、下層大気についての知見と、スーパーローテーションの長期安定性の理論にとって、満たすべき制約条件として活用できることがわかったのです。その後の観測から、弓状構造は、金星の高地上に、太陽との位置関係がある条件を満たすときによく現れることがわかりました※2。そして、最近それを、金星の大気大循環モデル(地球の気象・気候の予測に使われるのと同じつくりの計算機プログラム)によるシミュレーションで見事に再現した研究が現れました※3。これにより、山地の上で風速が強化される「目からうろこ」的なメカニズムが示されました。ただ、そのシミュレーションは設定が特殊で、山地の存在によってスーパーローテーションの維持が難しくなることも示され、まだまだ課題があります。

ベールを脱いだ、雲の中で展開するダイナミックな運動

金星の厚い雲は光や赤外線を散乱し観測を阻みますが、赤外線の特定の波長帯では下層からの赤外線が雲によって減衰されつつも直接宇宙空間に届きます。「窓領域」と呼ばれるこの波長帯を使って、「あかつき」では、雲の「影絵」を観測できます。残念ながら、この観測が行えるIR2、IR1という観測装置は、現在は不具合により観測できませんが、投入後1年の間に素晴らしいデータをもたらしました。

影絵は主に、比較的濃い中・下層の雲によって生じることがわかっています。その運動を追跡することで流れがわかります。窓領域での観測は、「あかつき」の前に金星を観測したVenus Express(欧州の金星探査機)などで行われていますが、観測機会が限られていました。「あかつき」以前の研究からは、中・下層雲域での流れは、極域以外では変化に乏しく、単純に東から西に流れていると考えられてきました。しかし、「あかつき」により、これまで見られたことのなかったジェット様の気流が赤道上に現れる時期があることが見つかり※4、さらに流れの様々な乱れが生ずることが明らかになりました。図3はその一つです。渦巻きのような模様がいくつか東西に連なっています。これは、コーヒーにクリームを浮かべてスプーンで回したときにできる模様と成因は同じで、シアーと呼ばれる局所的な流れの差が一定以上に大きくなると生じます。上記の「赤道ジェット」においても、その脇でシアーが強まり、直径1,000 km以上の渦の列が生じた現象も観測されました。その他に、今のところ成因が全くわからない筋状の大規模構造が形成されることなどがわかっています。シミュレーションからは、地球の移動性高低気圧と似たメカニズムで大規模な流れが生ずる可能性も示されています。それはまだ見つかっていませんが、データ処理の工夫で今後見つかる可能性があります。

図3

図3 IR2によって捉えられた中下層領域の渦列の例。経度-緯度座標で表示してクローズアップ。雲の濃いところがより白くなるよう、明暗を反転。

「あかつき」がもたらした画像は、静かで面白みのない中下層雲域の流れという従来の描像を大きく覆しました。さらに、紫外線による雲頂の観測からも様々な発見がありました。「あかつき」の計画時に挙げられた知識の空白(図1)は、(まだ大きいものの)埋められつつあります。

スーパーローテーションの維持機構

スーパーローテーションの維持機構を調べるには、金星大気において角運動量の流れがどのようになっているかを知る必要があります。かなり精度の高い観測が必要なため、過去の探査機では実現していなかった挑戦的な課題です。「あかつき」の「雲追跡」チームは、このため新しい雲追跡法と精度評価法を開発しました。私の研究室では、2010年の打上げの年に入学した大学院生が雲追跡法の開発に取りかかりました。その年の軌道投入には失敗したものの、Venus Expressのデータを使って一緒に開発を進めました※5。2015年からは、「あかつき」用にそれまでに開発されてきたプログラムに統合し、さらに開発を進めました。これを「あかつき」のデータに適用すると、データが高品質なことと相まって、過去の金星探査にもとづく研究を大きく上回る精度の風速推定が、広範囲に行えることが明らかになりました。上記の赤道ジェットの発見も、この技術に支えられています。

スーパーローテーションの維持機構の研究は、現在進行中です。これまでに、雲頂付近での角運動量収支がかなり制約できることが明らかになりました。その結果は、最近の日本のグループの数値モデリングの結果と整合的です。そこで、観測と数値モデリングの結果を両輪として研究を進めています。その内容は、今後論文として発表することになります。

おわりに

本稿では、「あかつき」によってこれまでに得られた成果の一部を紹介してきました(学術的なインパクトが大きいけれど紹介しきれなかった成果がいくつかあります)。「あかつき」を機に、観測だけでなく理論やモデリングでも、日本の金星大気研究が盛り上がってきています。ISASニュース2017年9月号(No.438)もご覧ください。これからも金星の気象と大気力学の解明が進むよう、そしてより広い見地で「地球流体力学」が深まるよう、貢献していきたいと考えています。

※1 Fukuhara et al., 2017, Nature Geoscience, 10, 85-88.
※2 Kouyama et al., 2017, Geophys. Res. Lett., 44, 12,098-12,105
※3 Navarro et al., 2018, Nature Geoscience, 11, 487-491.
※4 Horinouchi et al., 2017, Nature Geoscience, 10, 646-651.
※5 Ikegawa and Horinouchi, 2016, Icarus, 271, 98-119.

【 ISASニュース 2018年10月号(No.451) 掲載】