来し方行く末
秋 葉 鐐 二 郎
宇宙研は素晴らしい研究所である。
我が国で始めて,観測ロケットで地球観測年に参加して以来,同じ流れの中で,組織の変革を経て,1970年には我が国初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げ,1985年にはハレーすい星探査機を惑星間に投入し,国際共同観測に貢献した。そして,今日に至るまで,地球周辺から太陽系の直接探査,更には宇宙の涯までも観測する天文衛星により,我が国宇宙科学が世界に誇る成果を挙げているのは遍く知られている。理工が一体となった取り組みがそれを可能にしたのは,まさにその通りであるが,私の立場として活動の下部構造を担った工学の成果を更に補足しておきたい。というのは,それらが下部構造であるが故に,余りに言葉少なに語られてきたからである。
まず,これが固体ロケット技術の洗練によって,遂行されたことである。固体は液体にくらべ劣っているという,迷信が世間の常識化してしまっている中,高い軌道精度を要する惑星間探査をも成し遂げた実績をなぜ自他共に黙殺し続けるのだろうか。それだけではない。SEPACやSFUで,スペースシャトル利用の先鞭をつけたのは,宇宙研工学の大きな貢献である。これらによって,軌道からの回収がいかに多くの情報をもたらすかを思い知ったのは筆者のみではなかろう。我が国の宇宙開発と言う観点から,液水エンジンの開発はまた,特記さるべきである。今では,風化してしまった,かの三者協力で実現したH -IのLE-5は元を質せば宇宙研で細々と水素の液化から自前で取りかかった基礎研究がその発端であった。それに次ぐ,H-II計画は最近まで殆ど直接の関わりを持たなかったと言ってもいいが,奇しくも,H-II-8の事故に際しては,事故解析とH-IIAの設計見直しに大きな役割を担った。
衛星計画における地道な努力は高い信頼性によって報われている。「ようこう」が太陽活動の1周期に亘って観測を続けたのは工学グループの誇りでもある。新規技術として言うならば,「はるか」の大形アンテナは高精度の大形展開構造として特筆される。また,少し以前の話となるが,「ひてん」に取り付けられ,月の周回軌道に投入された「はごろも」は,今でもマイクロサットの先駆けとして,世界的な声価を得ている。これからの宇宙計画との関連においてみれば,将来の宇宙輸送において,重要な役割を担うと見られるATRエンジンの開発研究は,次の発展段階を迎える機が熟している。また,発電衛星については,宇宙研が主体となり,長年にわたり全日本的組織で忍耐強い研究に取り組んだ結果,今では,電力エネルギー長期展望の下で位置付けられ,宇宙実証実験の段階を視野に入れるまでになっている。
強調したいのは,これら工学的成果のかなりのものが,科学衛星計画とは直接の関係が無いことである。これら研究の一つ一つはそれに精魂を傾けた創造力豊な先生方が牽引してなされたことにも注目して貰いたいが,一方決して大きくはない研究所が大計画遂行の傍らで,集団として,このように多く萌芽的研究を育て得たのは,ひとえに研究所としての優れたバランス感覚の賜物である。しかも,その陰には,幾多の不首尾に終わった研究の残骸が累々としているのである。それらは,滋養として研究所の体質を強化しているのであるが,成果一点張りの研究所では,とても及びもつくまい。
ともかく,時代は動いている。宇宙研も,このままではいけない。その優れた特質をわが国の宇宙開発全般に敷衍していく姿勢が,今望まれる。その為に,研究,人事の面で真に開かれた研究所として再スタートを切る時が訪れている。
(元宇宙科学研究所所長 あきば・りょうじろう)