No.227
2000.2

ISASニュース 2000.2 No.227

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「おおすみ」30周年

野 村 民 也  


「おおすみ」が誕生して満30年,記念として何か書けと云う松尾編集長からの依頼である。「おおすみ」を打ち上げたL-4S型ロケットの計画の始まりや,何度にも亘る失敗の経緯,打上げに成功した日の模様などについては既に纏めてあり,その一部,特にL-4S計画の技術面の評価に就いては「宇宙空間観測30年史」にも採録されているから,それらと重複を避けて「おおすみ」の誕生に就いて,改めて思い起こして見たい。

 今春,大学時代の同級生から貰った年賀状に「H-II(の失敗)や臨界事故に民族の疲労の様なものを感じます。ラムダの時代は本当に良かった。緊迫感がありました」とあった。L-4S計画が始まった1964年は東京オリンピックの年である。東海道新幹線が開業し,高速道路も建設されて,世の中は高度成長期の熱気に包まれていた。L-4Sは失敗が重なり,公にはマスコミなどの厳しい批判に晒されたが,その一方で,私(ひそ)かに激励・声援を送って下さる方々が少なくなかったのは,矢張り,新しい挑戦的な試みに興奮する時代風潮の反映であったのであろう。当初,科学衛星計画におけるM-4Sロケットのテスト機と云う位置付けであったL-4Sは,何時しかそれ自体,目的と化していた。

 L-4S型ロケットは,1号機を打ち上げた1966年度3機,「おおすみ」が打ち上げられた1969年度にも,L-4T型1 機を含め 3 機が製作されている。これだけの機数を用意できたのは,当時は第次オイルショックの前であり,経済の好況に支えられて国の財政に余裕があったこともあるが,政府筋にもこの計画を是認し,支持する向きがあったと云うことであろう。「おおすみ」誕生の直後,当時の佐藤栄作総理は玉木・齋藤両先生を官邸に招いて,昼食を共にして労を労われた。また「おおすみ」の成功の2ヶ月後に中国が初の人工衛星「東方紅」を打ち上げた時,「兎も角も先に上がっていて良かった」と云われたそうであるが,これにも,同総理のこの計画に掛けた一種の期待感が読み取れるように思う。因みに糸川先生は,一時期,同総理のブレィンであった。

 科学衛星計画の本命は Mロケットである。その開発の具体的な第一歩は,1964年1/3サイズの第1段の地上燃焼実験に始まる。従って,Mロケットの開発はL-4S計画とほぼ並行しているが,「宇宙空間観測30年史」の年表によると,開発のための地上試験は,L-4Sの開発に比べ,遥かに細かく丁寧に行われている。この違いは,Mロケットが全くの新規開発であるのに対して,L-4Sは既開発のL-3Hロケットが土台になっていることによるのであるが,既開発と思っていた技術に思わぬ落し穴が潜んでおり,その辺に対する注意に欠ける所があったことが悔やまれる。その一つが 1段目の切離し技術である。成型火薬によるノイマン効果を利用したものであるが,その薬量の多さは,「お前達はロケットを壊す気か」と米国の専門家を呆れさせたと云う。切離しの衝撃が, 2号機における4段目の結合外れを招き,然らば結合を強くすれば良かろうと,3号機で結合用のピンをアルミから鉄に安易に変えた結果,却って結合を切れ易くしてしまった。

 「おおすみ」成功に至る過程で,最も残念なのが 4号機である。それに先だって行われたL-4Tの打上げで明らかになった残留推力の問題に対処するため,姿勢制御装置を含む4段目に,小型のキックモータを付けることとしていたのが,一寸した不注意からそれが適わなくなってしまった。本来ならば,ここで4号機の打上げを延期し,十分な処置を施した上で打上げに臨むべきであったと思う。そうすれば,時期は同じようなものであっても,4号機を以て衛星を誕生させることができたであろう。L-4Tから4号機の打上げに至るまでは僅か3週間足らず,この間に急遽行われた実験による残留推力の大きさの推定から,4段目の切離し時期を遅らせることで追突は避けられると云う結論で4号機は打ち上げられたのであるが,結果は,切離し時期を遅らせたことが却って裏目に出,制御を終えた4段目の姿勢に,回復不能な乱れを与える結果となってしまった。

 現在のM-V型ロケットの技術は,極めて高い完成度に達している。今後は,部分的な改良程度はあるであろうが,全システムを通じて新しいロケットの開発を,宇宙研が手掛ける機会はないのではないか。「おおすみ」が誕生して30年,草創の頃から苦楽を共にしてきた職員諸君も,多くは宇宙研を去った。これからは,皆が一丸となって共に成功の美酒に酔い,時には失敗に涙すると云った光景には,お目に掛かれなくなるのではないか。宇宙研は,旧き良き時代に別れを告げるターニングポイントに差し掛かっている。宇宙研の将来,特に工学系の将来に如何なる方向性を与えるのか,大切な時期である。大変なことと思うが,松尾新所長に大いに期待したい。

(名誉教授 のむら・たみや)


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