No.224
1999.11

ISASニュース 1999.11 No.224

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「スペースシャトルと馬の尻」とISAS宇宙科学

松本 紘  

 最近,おもしろい話を目にした。まず紹介したい。

  『アメリカの列車軌道の幅はフィート8.5インチである。なぜそんな半端な幅なのだろう。それは,米国の列車軌道が最初英国の技師によって敷設されたからである。
 それでは,どうして英国ではそうしたのであろうか?それは英国では最初,市電の技師たちが同じゲージを使って列車軌道を敷設したからである。
 では,どうして市電技師たちのゲージはその幅だったのだろうか?それは最初に駅馬車の車輪幅を決める道具を使ったからである。
 では駅馬車の車輪幅はどうしてそう決まったのか?駅馬車は長距離走で壊れないように,轍(わだち)に会わせて作るよう道具が決まっていたからである。
 では,ヨーロッパの長距離の轍道路は誰が作ったのであろうか?それはローマ帝国の軍隊である。彼らの二頭立戦車の幅が実は4フィート8.5インチだったのである。ではなぜか?実はそれは戦車を引く二頭の馬の尻が収まるサイズで決まっていたのである。
 つまり,現代の列車の軌道幅が帝国ローマの軍馬の尻の大きさで決まっていたということになる。
 さらに,古代軍馬のお尻のサイズはスペースシャトルの固体ロケットブースターSRBのサイズも規定している。なぜなら,SRBはトンネルを通って運ばれるため,列車の軌道幅と同程度にせざるを得なかったからである。最先端技術も実は古代の決まりに縛られている。』

 これを読んで筆者はこう思った。自主的にやっていると思っていることが実は良くも悪しくも古い時代に規定されている点である。今のISAS宇宙科学についてもISAS黎明期の「馬の尻」とおおいに関係するのではという気になった。二つのことを書いてみたい。

 ひとつは「馬の尻」というにはあまりに失礼ではあるが「いも焼酎」のカラム記事ということでご勘弁願いたいが,ISAS設立当時の中核研究者の構成が今なお科学衛星実験の分野を規定しているという点である。東大宇宙航空研究所のころのわが国の飛翔体科学の創始者の先生方の専門が今の衛星計画の骨格を決めてしまっている。科学分野で言うとX線天文学,電離圏・大気圏科学,太陽系プラズマ系科学がいわば馬の尻に相当し,その後はそれで決まった轍が現在の科学分野を規定しているように見える。もちろん,列車軌道に標準軌道以外に広軌,狭軌があるようにその後,関連する新しい学問領域の衛星実験が行われるようになったが,まったく異なる分野の宇宙科学の参入が難しいのは,上の話と関係があると思うがどうであろうか?宇宙工学のほうは良くは理解できていないが,関係者の意見を伺いたいと思っている。

 もうひとつ。
 こちらはローマ帝国のChariot(戦車)がなつかしい,という思いである。今50才を超える宇宙科学分野の全国大学および宇宙研の実験研究者のほとんどは内之浦のロケット実験を経験しているのではないだろうか。筆者が最初に内之浦の「いも焼酎」の洗礼を受けたのは大学院の学生の頃であった。もちろん,見習いというか丁稚であった。それでも,教育効果は絶大であった。それが今の宇宙研実験研究の基礎財産となっている。こちらの轍の伝統はその後,どこかで実質的に消えてしまっている。そこで是非,学生をロケット実験に参画させられる企画を宇宙研に考えてほしいと願っている。後継者養成に効果絶大と信ずる。

(京都大学超高層電波研究センター,まつもと・ひろし)



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