VLBI,思い出すままに
それは1980年代半ば頃のある日,私は小田所長,林先生のお伴をして,ロサンゼルスの郊外のパサディナで開かれていたスペースVLBIの国際会議に出席していた。その会議は私のJPL時代の友人の Dr.F.Jordan 他によって開催されていた。会議の話題は当時打上げ計画中のソ連(当時)のラジオアストロンとESAのクエサットであった。前者はプロトンによる打上げで5トンであり,後者はアリアンの打上げで1トンであった。宇宙研の案は,当時使われていたM-3SII型による僅か250kgでしかなかった。“余り恥ずかしいから発表を止めましょうか”と小田所長に申し上げたら,“せっかく持って来たのだから話せ”とのご指示で私が発表したけれども,当然のことながら余り相手にされなかった記憶がある。しかし帰国後小田先生の強力な推進があり,またそれに続く方々のご努力が実って,M-V型の開発が進み,その1号機に800kg余りの「はるか」が打上げられ見事な成果を挙げられていることは,同慶の至りである。ちなみにクエサットは,会議後間もなくESA内部の順位調整で消えてしまい,ラジオアストロンはソ連の崩壊の影響を受けて,未だに実現したとは聞いていない。まさに有為転成の世の中である。
臼田64mφのアンテナを利用してのVLBI実験(地上)は私が宇宙研に入所した頃からの念願であり,当時ほとんど唯一の実験成果を挙げていた通総研鹿島にしばしば通って川尻さん(現,NASDA),高橋さん,河野さん(現,天文台),川口さん(現,天文台)の方々に懇切丁寧に教えていただいたことを懐かしく思い出すと共にこの項を借りて感謝の意を表する。
さらに1986年にはNASAのTDRS(データ中継衛星)と臼田アンテナ等を使った日米豪共同のスペースVLBI実験が行われ,森本さん,平林さん(当時天文台)達が臼田の受信機のパネルを開いて,実験用の回路をわが者顔につないでつくってしまい,私を始め宇宙研のメンバーは呆気に取られて見ていたのも懐かしい思い出である。もちろんそのお陰で世界最初のスペースVLBI実験として成功した。
JPLの故Dr.Renzetti は宇宙研のスペースVLBI実験を強力に推奨され,駒場に来訪された折は,太陽系の両端にVLBI衛星を上げて,太陽系規模のスペースVLBI実験を提唱されて居られたが,もう間近に迫った21世紀には夢ではないかも知れない。
私自身は現在,VLBI衛星又は小さなアンテナを搭載した周回衛星を使い,惑星探査機とクエーサーの信号を同時受信し,”はるか”によって実現した位相転送の技術を使って地上局におろして,地上局の同様な受信信号との相関を取って(△VLBI),惑星探査機の超高精度軌道決定が実現できるのではないかという夢を追って検討を進めている。
(西村敏充)