No.217
1999.4

ISASニュース 1999.4 No.217 


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千葉市弥生町

秋元春雄  



 私が糸川先生のお名前とお顔を存じ上げましたのは,1951年に千葉市弥生町にありました東京大学生産技術研究所(総武線西千葉駅前,その後港区麻布へ移転,跡地は千葉大学が使用)に事務職員の一人として勤務したときでした。先生の居室と研究室は敷地15万坪の東京寄りの片隅にあり,建屋はこじんまりとした独立の木造平屋で,周囲は身の丈ほどもあるススキが一面に生えているという自然環境豊かなところにありました。

 先生はよく外国出張されており,その手続き(含公用旅券)を担当していた時期がありましたが,あるとき出発までに間に合うかどうかギリギリのケースがあり,ただちに必要書類の作成にとりかかるため書庫の扉を開け書類探しにモタモタしていますと,背後から先生が「探している書類に声をかけたらピーとか,先が点滅するとか反応してくれたらいいだろうネ。」と。日頃の整理整頓の悪さを指摘された事を思い出します。とにかく大至急で書類を作成し,上申手続きの手順を説明しましたところ,それでは関係者にお願いしに行きましょうということになり,先生の運転される車に乗せていただき東京大学事務局と文部省へ出向き事情を説明し,格段のご配慮をいただき,なんとか予定どおり出発されたことがありました。とにかくエネルギッシュで大変お忙しい先生であるという強い印象を受けたことが思い出されます。

 先生に接する機会が多くなるにつれ,こんな話を聞いた記憶があります。「プロペラ機は新鮮味がない。ジェット機は完成しつつある。これからはロケットに一番未来がある。」また,「東京・サンフランシスコ片道4時間で飛行できる。」当時,事務ではガリ版印刷やカーボン紙による複写,算盤がハバを利かしていたそんな時代で,わが家にはテレビも無かった時だけに,ラケットは知っていても「ロケット」って一体どんなものなんだろう? とにかく物凄いスピードで空を飛ぶもの程度位しか想像できませんでした。今考えますと戦後の大変な時代でありながら,先生の着眼,先見の明にはひたすら驚くのみです。

 ロケット関係事務に長いこと従事させていただき,いつの間にか過ぎ去った定年までの道を振り向きますと,そこには千葉市弥生町があり,ペンシル・ロケットがあります。

 先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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