No.217
1999.4

ISASニュース 1999.4 No.217 


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追 想

久木元 峻  



 数十年前の今時分であったかと思う。当時の町長であった私の部屋にお二人の来客を迎えた。名刺を拝見して,驚いたことに名だたる糸川教授と下村事務官であった。ご用件を承れば,この地が本土の最南端に位置しており,ロケットの打上げに最適であるという事であり,本当の最南端は,佐多町であるが最南端を内之浦にされたことに私は心ひそかにこれは有難いと思った。その後直ちに現地に赴くことになり,数カ所を見て廻って何れもお気に召さず,最後に長坪の峠に差しかかった時,教授は太平洋に向かって小用を足されながら「ここだ!」と叫ばれた。



 見渡せば丘の起状が激しく,しかも岩石の累積する到底ロケットの発射に役立ちそうもない箇所にしか見られない。しかし,先生はその意思をまげられず丘を削ればよろしいと主張され,そこが本決まりになって本日に至った。その後数カ月経ったが,その間長坪部落の婦人各位には,お握りとか煮しめを振る舞って下されたり懸命の努力をして戴いたことは誠に有難く,今だに強く記憶に残っている。そして工事終了後の景観は現在の姿そのものとなった。岩石だらけの峠のそれとは全く異なり,石垣を作る為の岩石は他から運び込まなければならないといった有様であった。その後,開所式にあたり長さ2m程度のロケットの打上げが最初の発射となったのである。その折り私の顔に火の粉が当たり痛みを覚えた記憶がある。開所式の折り私は祝辞を申し述べる光栄によくしたことは今も記憶に新しい。



 そして二十数年,紆余曲折を経て最近のロケットは極めて巨大となり,その轟音は正に耳をつんざく程であり,その先端は今火星に向かって飛翔しつつあり,ペンシル・ロケットに比較すれば数千倍の威力を備えたものとなった。糸川先生の発想はここに至って極まった感がある。このロケットの轟音を聞きながら,私は糸川先生のお顔とお姿を思い浮かべ感無量であった。先生は報道によれば私と同年であり,以前四,五才お年上であろうかと考えていたのは誤りで,人間の知能の差はかくのごときものかと思わされる事であった。

 今先生を失い後継者の諸先生が今後のロケットの進歩と発展の為に粉骨砕身されることとなり,その発展は期して待つべきものがあると考える。我が故郷の内之浦からより益々巨大なロケットが発射される事となり,人類が他の宇宙に向かって飛び立つ日が来るならば,糸川教授に最大の餞となるであろう。

 諸先生方のご研究が益々発展されることを祈念する次第である。


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