No.194
1997.5

コラム

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小笠原追跡所

 小笠原に行く方法は1週間に1便のフェリーしかなく,移動日をいつにするかを決めるのもフェリーの運航日次第と言うことになります。結局,準備期間が短く,データ整理及び撤収期間が長くとれる2月7日東京発,2月20日東京着と言う日程となりました。午前10時竹芝桟橋を出航。小笠原の父島まで約1,000kmでおよそ28時間半ということでしたが,途中一時海が荒れて,結局31時間後の翌日午後5時に着きました。
 父島には,民宿・旅館が約30軒,飲食店が約25軒もあります。娯楽といえば,平日は飲み屋に行くかテレビを見るかしかありません。休日には磯釣り,島巡り遊覧船,ホエールウオッチング,レンタバイクを借りての島巡りなどいろいろありますが,2月のこのシーズンは観光客があまりいないので寂しい感じでした。気温は亜熱帯気候と言うのか,夏は27℃,冬は12℃ぐらいと,1年を通してそれほど気温の変化が無く大変住み易いところのようです。現に私は真冬の服装を準備していったのですが,現地の人は薄着で,中にはTシャツの人がいるぐらいでした。
 さて,本来の目的であるM-Vの追跡業務の話も少しはしておかないと…。NASDA小笠原追跡所は,父島中腹部の見晴らしの良い位置にあり,常駐している人は宇宙技術開発と東京美化という会社の社員数名で,NASDAの人は追跡業務があるときなどに出張するという体制のようです。準備期間が2日間しかなかったので各種受信装置,記録装置,KSCとの通信回線,及び連絡体制などの調整,ついでに下水処理設備の改修工事など,NASDA関係者には慌ただしく,しかも手際よく行って頂きました。打上げが1日延期になったお陰で少し余裕ができて助かりました。
 打上げ時の状況ですが,直通電話回線が1本準備されていましたが,こちらには音声や映像のモニターが無いためかなり不安でした。しかし,電話を通して時々刻々「飛行順調」の声に胸をときめかせました。私からも小笠原の受信状況を時々刻々連絡をしなけばならないのですが,こちらからは「飛行順調」ならぬ「受信順調(?)」でした。各種データも順調に記録され,とにもかくにも打上げ成功の連絡を聞き小笠原局実験班一同拍手喝采でした。帰りの船までには後1週間もありました。

(徳永好志)



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コラム16 勝浦追跡センター
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