No.280
2004.7

ISASニュース 2004.7 No.280

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C. elegansのフランス宇宙の旅 

宇宙環境利用科学研究系 石 岡 憲 昭  


C. elegans って何だ?

 C. elegans(Caenorhabditis elegans)は線虫の一種で,長さ約1mm,約1000個の細胞から構成され,筋肉系,神経系,生殖系,消化系の器官を持つ。寿命は2〜3週間で,生活環はおよそ5日である。約2万個の遺伝子が9700万個のゲノムに含まれている(ヒトは30億のゲノムに約3万の遺伝子)。姿,形はヒトと似てはいないが,ゲノムという共通言語を持つ非常に近いもの。

 この虫をモデル生物としてロシアのソユーズによる国際宇宙ステーション(ISS)のタクシーフライトを利用した日仏共同C. elegans国際協力宇宙実験が,CNES(フランス国立宇宙研究センター)を中心にJAXACSA(カナダ宇宙庁)およびNASAの参加と,ESA(欧州宇宙機関),SORN(オランダ宇宙研究機関)の支援体制のもと実施された。日本からは私が代表研究者として,ISS科学プロジェクト室のフライトプロジェクトと宇宙基幹システム本部宇宙環境利用センターの支援体制で参加した。その関係でフランス,トゥールーズに出張した。


トゥールーズへ

 生物試料を輸送する場合,安全性,規制対象,生物兵器でないことの証明やらX線検査回避等々の問題を事前にクリアしておかなければ,機内に持ち込むことも,持ち出すこともできなくなる。リハーサルでは事前の連絡,調整不足でC. elegansの機内持ち込みが許可されず,フランス国内での空輸ができなかった。それ以来,フランス国内は鉄道で移動することに。

 本番打上げ準備でC. elegansとともにパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着後,オーステルリッツ駅に向かい,夜行寝台列車で一路トゥールーズへ。沿道の明かりもまばらな夜の帳(とばり)に包まれながら,1等コンパートメントの寝台で足元に虫を置いて,寝付けないまま早朝のトゥールーズに到着。ポール・サバティエ大学の研究室での数日間の準備作業を終え,ロシア・バイコヌールに向かう宇宙飛行士ならぬ宇宙飛行虫たちを見送って,慌ただしく帰国。日本で時間通りに打ち上がったことを知る。


ポール・サバティエ大学とトゥールーズの街

 ポール・サバティエ大学の名は,微細な金属粒子を用いる有機化合物の水素化法の開発で1912年ノーベル化学賞を受賞したポール・サバティエ博士にちなんだもの。医学部にCNESと連携した生物医学宇宙実験を支援する研究室グループ(GSBMS)がある。

 トゥールーズはガロンヌ川沿いの街。ガロンヌ川と地中海を結ぶ世界遺産ミディ運河の出発地点だ。旧市街が残る,建物の美しい街。一方,郊外は宇宙航空産業の一大拠点であり,ポール・サバティエ大学を中心に10万人を超える学生が学ぶ学園都市であり,博物館,美術館,オペラハウスやコンサート会場もある文化都市,サッカーフランスワールドカップの開催地でもあった。トゥールーズを訪れたら一度は食べなければいけないカスレという名物郷土料理。白インゲン豆をソーセージやベーコン,鴨肉と一緒に,カソールという土鍋で煮込んだ料理だ。


再びトゥールーズへ

 10日間の宇宙飛行を終え無事に帰還した虫を回収し,日本に持ち帰るべく再びトゥールーズへ。今回も鉄道旅。昼間にパリのモンパルナス駅をTGV(テジェヴェと発音)で出発。すぐに都会的風景は一変し,田園風景の中に。車窓には荘園時代の名残のような大きな邸宅の周りに畑が広がり,その境に教会を中心とした村がある。どんなに小さな集落にも,最低一つは先のとがった屋根の教会が見える。緑が濃くなったり薄くなったり,静かに水が流れる川に沿ってTGVは快適に走る。いくつかの駅に停車し,やがて葡萄畑が見え隠れし始め,有名なワインの産地,ボルドーに停車した。トゥールーズ同様にガロンヌ川沿いに開けたこの町を横目に……我慢できず,車内の売店でボルドーワインの小瓶を仕入れて大地の恵みとミッション成功に乾杯。モンパルナス駅を出発して約7時間後TGVは「薔薇(ばら)色の町」トゥールーズのマタビオ駅に到着,私は再びこの街に降り立った。

 遠心機付きの恒温槽キュービックに搭載された培養バッグ内の虫たちは,無事宇宙飛行を終え,ロシアから研究室に運ばれて来た。グランドコントロールの培養状態を顕微鏡で観察確認し,フライト試料同様に凍結や化学固定処理後,輸送の準備作業を行った。


新たな旅の始まり

 美しくなぜか郷愁漂わせるこの街に後ろ髪引かれながらも,回収した虫たちと一緒に,マタビオ駅からパリへ。パリ空港では全日空の協力とパリ空港警察の手厚い護衛付き()先導により(他のお客さんには連行されている犯罪者のように映った),何のトラブルもなく機内に。無事帰国後,虫を各協力研究者にも分配し,すでに一部解析が始まっている。

 宇宙の旅から,今新たに「心躍る科学的探求の旅」が始まっている。

(いしおか・のりあき) 

搭載準備の整った虫たちをロシアに運ぶ前の記念撮影。
向かって左から3人目が筆者。 


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