No.278
2004.5

ISASニュース 2004.5 No.278

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チェルノブイリに見た「心」の被曝

NHK解説委員 室 山 哲 也  

事故を起こしたチェルノブイリ原発4号炉

 18年前4月26日,ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故は,人類史上,例を見ない放射能汚染を引き起こした。私は当時科学番組部でディレクターをしており,NHKスペシャルの取材で,事故直後から数回,通算半年間ほど汚染地帯で暮らしたことがある。食料や水,ほこりを通して私の体に蓄積されたセシウムやストロンチウム,プルトニウムなどの放射性物質は,今も体内で放射線を出し続けているはずだ(放射線は皮膚に届くまでに減衰し,私とお話しする人には影響ありません。念のため)。


放射能汚染の現場に立つ

 初めて汚染地帯に立ったときの気持ちを忘れることができない。透明な空気,美しい湖,川,草原地帯,青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ,鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていく。まるで童話の世界を絵にしたような風景の村。しかしそこに住民はいなかった。汚染勧告で全員が避難したのだ。生活の様子を残したまま,人間だけがすっぽりと消えている。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見える。

 「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場dash

 風景が美しければ美しいほど,五感では分からない放射能汚染が,恐怖感を増幅させた。

 問題が深刻化したのは,事故から4年目だった。事故直後,原発から周囲30km以内は立ち入り禁止ゾーンとして無人化したが,ゾーンの外は放射能汚染がなく,立ち退きの必要がないとされていた。しかし事故の4年後,恐るべき事態が明らかになった。チェルノブイリ原発から放出された放射性物質が,予測不能の気流に乗り,「ゾーン」をはるかに越えた北方のベラルーシ共和国に,大量に降り注いでいたのだ。しかも所々に,水が作り出す「ホットスポット」と呼ばれる超高濃度汚染地域ができており,住民は大パニックに陥った。「水」が集まる場所は穀倉地帯であり,結果的に自然の恵みのメカニズムが裏目となった。公表されていた放射能汚染地図も,根本的に書き換えなければならない最悪の事態であった。私たちは,そのベラルーシにカメラを入れた。


傷つくものはもう一つある

 ベラルーシの村々の畑には,たわわに実った麦が,汚染のため収穫されないまま放置されていた。すでに住民避難が始まっており,歯が抜けるように住民が減り始めていた。避難は赤ちゃんを持つ若い夫婦から始まった。若い人が集まる店がつぶれ,学校が消え,共同体が機能を失いつつあった。老人と一緒に住む大家族では,若夫婦だけが子供を連れて逃げた。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより,村に残ることを望んだ」と役場の人は説明した。

 しかし実際は,老人とともに新しい人生を始める経済的余裕がなく,「現代の姥(うば)捨て山」とでもいえる状況が起きていた。老人たちは,行く当ても,生活のすべもないまま放置された。放射能汚染が村人や家族の絆(きずな)を引き裂き,ずたずたに崩壊させ始めていた。

 その近くに,住民全員を引き連れて,知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいた。奇妙なことに,その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の地域だった。
「逃げる必要がないのになぜ避難するのか

 私の問いに村長は答えた。
「確かに放射能は遺伝子DNAを切断し,人体にダメージを与える。しかし傷つくものはもう一つある。それは心だ。汚染地帯にいると,たとえ汚染レベルが低くても,共同体が壊れ,人の絆がずたずたに切れていく。そこでは体は生きても,心が死んでしまう。“心が死ぬ場所”に,人間が暮らすことはできない」

 村長の言葉が私の心に突き刺さった。私の25年のディレクター人生で,忘れられない言葉の一つとなった。


「体の被曝」と「心の被曝」

 東京に帰って私は考えた。人間が人間として生きていくとはどういうことなのだろうか。

 科学番組をやっていると,人間を精密な機械として見,物理的ものさしだけで判断をする癖がついてくる。健康上安全な場所から「気分だけで」避難する人をまるで愚か者のように感じてくる。しかし人間には,生物的(物理的)存在としての側面のほかに,社会的,文化的存在としての側面がある。「人はパンのみでは生きない」。この当たり前のことを私たちはすぐに忘れ,無慈悲なシステムを作り上げてはこなかっただろうか。人間の顕在意識だけを尊重し,その底流にある潜在意識の世界を忘れてはいないだろうか。形あるものだけを信じてはいないだろうか。形のないものに内在する価値を忘れ去ってはいないだろうか。

 チェルノブイリで私は,被曝(ひばく)には「体の被曝」と「心の被曝」があることを知った。あの日から18年。あの重く苦い記憶は,まだ心の底に沈殿したまま残っている。

(むろやま・てつや) 



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