No.269
2003.8

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2003.8 No.269 


- Home page
- No.269 目次
+ 宇宙科学最前線
- お知らせ
- ISAS事情
- いも焼酎
- 東奔西走
- 内惑星探訪
- 科学衛星秘話
- 宇宙・夢・人
- 編集後記

- BackNumber

小惑星探査機「はやぶさ」の研究計画について

宇宙科学研究所 システム研究系 川 口 淳一郎  

 第20号科学衛星MUSES-Cは,先日の打ち上げ後「はやぶさ」と改名され,現在2004年5月の地球スウィングバイにむけてイオンエンジンを稼働中です。「はやぶさ」プロジェクトは工学実験の衛星計画であり,種々の多様な新規技術の開発と実証を目的としていてそれらは総合工学の研究計画として位置づけられています。一方,理学面においては,太陽系探査の視点を始原天体へと展開し,サンプルリターンという新たな探査方式の実証を行うことが「はやぶさ」プロジェクト目的の根幹です。しかし,ここでは工学面を紹介することに限定したいと思います。

 小惑星サンプルリターン計画の宇宙研における検討は,実はかなり古くに始まっていて,初の惑星間探査機「さきがけ」が成功裏に打ち上げられ,「すいせい」の打ち上げを間近にひかえた1986年6月に,現所長の鶴田先生の主催で行われています。その翌年には,Anterosを対象として,90年代に想定するミッション例として化学推進機関によるサンプルリターンの構想をまとめたのですが(図1),時期尚早でプロジェクトとして提案されることはありませんでした。ただ,このときの原案の図を見て驚くのは,偶然とはいえ1998SF36を想定した軌道ととてもよく似ていることです。また,この段階で早くも惑星間軌道からの直接リエントリが必須技術であることが報告・提案されていたことは特筆すべきことでしょう。


図1 1987 年のAnteros サンプルリターン計画案


 「はやぶさ」で開発・実証を目的としているつの新技術要素は,イオンエンジンを主推進機関とした惑星間航行,光学観測による自律的な航法と誘導方法,惑星表面の標本採取技術と惑星間軌道からの直接大気再突入と回収です。あまり強調されてはいませんが,このほかにも液小推力化学推進機関,総電力固定のデューティ制御型熱制御,イオンエンジンを閉ループに組み込むホイールアンローディング,PN-code超遠距離測距(PN-codeは送信電波に乗せる疑似雑音符号で,この符号の往復伝搬時間を測定することにより,距離を求めます。),リチウムイオン次電池の採用など,各種の新たな衛星・探査機技術が導入されています。「はやぶさ」はまさにハイテク・ロボット宇宙船でもあります。(図2)これらの技術要素の研究については専門性も高く,ご担当の方々から紹介いただくのが適当なので,今回は列挙するにとどめさせていただき,私の紹介できる範囲で,飛行計画と今後の応用について研究計画と絡めて紹介させていただきたいと思います。


図2 探査機の搭載機器図


- Home page
- No.269 目次
+ 宇宙科学最前線
- お知らせ
- ISAS事情
- いも焼酎
- 東奔西走
- 内惑星探訪
- 科学衛星秘話
- 宇宙・夢・人
- 編集後記

- BackNumber
 私の所属するシステム研究系は,アストロダイナミクスという軌道運動や姿勢運動,自動制御理論を背景として,航法・誘導・制御工学を用いて,探査機や飛翔体の飛行解析や計画立案を担当する部門です。ふりかえってみれば,現在の私の研究動向を支配したきっかけは,大学時代の197576年に行われた,NASAの火星探査機 Viking-12号の成果によるところ大です。以来,「自動制御」と,現在では一般用語になっていますが「軌道修正」を行うことの2語が自身の研究の方向を左右してきたといえます。以下では,これに関連するアストロダイナミクス研究面での「はやぶさ」実プロジェクトへのごく簡単な適用例をつ取り上げてみたいと思います。


図3 現在の「はやぶさ」の飛行計画図(太陽−地球固定系)


 最初の例は,軌道最適化の応用です。「はやぶさ」の飛行計画でよく受ける質問に,どうして地球スウィングバイを使うのか,というのがあります。(図3)「はやぶさ」の打ち上げはM-Vロケットの不具合から延期になり,探査対象とする小惑星の変更も余儀なくされました。しかし探査機自体は燃料タンクを含めて設計,製作済みであったことや,また,もともと打ち上げるM-V型ロケットの能力をいっぱいに引き出して計画されていたため,多くの代替対象小惑星への飛行には打ち上げロケットの能力不足ないしは探査機の重量超過となってしまいました。ただ幸いにイオンエンジン推進剤タンクにはわずかに余裕があり,イオンエンジンを使って,輸送能力の改善をはかる方策が残されていたわけです。イオンエンジンは,非常に高速でガスを排出してその反力で推力を得る推進機関で,非常に燃費の高いことが特徴です。反面推力は非常に小さく,短時間で大きな加速を必要とする打ち上げ段階には使用が困難です。しかし一旦惑星間に探査機を打ち出してしまうと,もはや「落っこちる」心配はなく,推力方向も1日1度程度といった緩やかな操舵で十分な加速を行うことができることになります。「はやぶさ」で実際に地球から小惑星に出発する時期は2004年5月で,それまでの1年間にこの惑星間での加速を行わせることで,打ち上げ能力不足を補っているわけです。直感的には理解が難しいかもしれませんが,惑星間で加速する効率的な方法は,このイオンエンジンでの加速を地球スウィングバイと組み合わせることです。理想的には,惑星間にてイオンエンジンで加速した量の2倍の増速量を,スウィングバイを併用することで得られる計算です。「はやぶさ」の場合には,推力が小さいことなどにより,この効率は1.3倍とやや小さくなっていますが,これでも探査機重量に換算すると25〜30kg,探査機全体重量の5〜6%の化学燃料相当の節約をはかることができています。軌道運動は非線形ダイナミクスの最も簡単な例であって,打ち上げ時の速度に惑星間のイオエンエンジンでの増速量を加えた結果が,足し算ではなくて,おまけが追加されることになります。この方策は非常に効率的で,小型の打ち上げロケットの等価的な能力を飛躍的に増加させる秘策で,将来の高打ち上げエネルギーのミッション,外惑星や彗星など遭遇点が遠方である惑星探査にも幅広く応用可能だと考えています。

 次の例は光学航法です。文字通り,探査機上のカメラで目標の小惑星を撮影して,その方向の情報から探査機と小惑星の相対的な位置・速度を推定する方法です。考えてみれば,我々は普段から人混みをさける行動のなかで常にこれを行っているので一見当たり前のように思えるかもしれません。ある平原の線路を走る列車から,遠方の灯台を見たとします。たとえば線路から灯台方向のなす角度を計測するわけです。2点で観測すると三角測量で灯台までの距離が推算できるように思えるかもしれませんが,実はこれは正しくありません。列車の速度がわかっていればその通りなのですが,これが未知だと灯台までの距離を知ることができないのです。しかし列車の速度を既知の決まった量だけ変更できれば,最初の列車の速度は不明でも,灯台までの距離は推定できるようになります。野球の外野手がフライを捕球する際にも,これと同じ動作を行っています。真正面にとんできたボールを捕球するためには,外野手は左右に動いてボールの落下点を見定めていますが,これも同種の方法です。光学的な情報は,2次元の角度の情報ですから情報量が不完全で,観測性が整っていないため,意図的に運動を入力することで,観測性を確保しているということになります。「はやぶさ」では,イオンエンジンで加速しながら観測を行うことで,光学的に小惑星に接近しランデブーを行えるわけです。「はやぶさ」が小惑星に到着するときに地球からの距離は約3億kmにもなり,電波による探査機の位置推定では,300kmもの誤差を生じてしまい,大きさが500mほどの天体にランデブーさせることは困難です。「はやぶさ」は,このように画像情報に基づいて小惑星を観測することにより,小惑星に到着するわけです。

 「はやぶさ」は工学実験探査機ですが,サンプルリターンという新たな理学観測目的をかなえることと,新しい工学技術の開発とをうまくブレンドできた例といえます。理工が共同で戦略的に深宇宙探査を推進していくことが相補的に作用しています。「はやぶさ」で再認識されたことは,宇宙科学研究所のおかれたうまくバランスのとれた環境が背景にあったということです。宇宙開発の目的については相当の議論があるところですが,「はやぶさ」の打ち上げを通じて,社会文化的な観点から期待されていることが何であるか一端を感じることができました。まことに光栄なことにジャズの組曲まで作っていただくなど,理工学が多方面に接点をもつ文化活動のつであることを再認識できたことも収穫です。「はやぶさ」での研究テーマとしては,我々の活動を,このように自然科学のみならず人文社会科学という大きな文化活動の中で位置づけることも挙げることができるのではないでしょうか。

- Home page
- No.269 目次
+ 宇宙科学最前線
- お知らせ
- ISAS事情
- いも焼酎
- 東奔西走
- 内惑星探訪
- 科学衛星秘話
- 宇宙・夢・人
- 編集後記

- BackNumber

図4 イオンエンジン駆動によるドプラー O-C 変化図


 幸い5月28日には,前日に引き続き,最初のイオンエンジンに高圧電源を投入しての加速試験を行いました。1基だけ,それも80%レベルの出力でしたが,想定された加速量が,ドプラー計測で直読でき,大きな1歩を踏み出しました。(図4)小惑星到着,着陸はまだまだ遠路はるばるで,帰還までには20億kmもの飛行をしなくてはなりません。どうぞ今後もご支援をお願いします。

(かわぐち・じゅんいちろう) 


図5 着陸の想像図



#
目次
#
お知らせ
#
Home page

ISASニュース No.269 (無断転載不可)