No.264
2003.3

ISASニュース 2003.3 No.264

- Home page
- No.264 目次
- 研究紹介
- お知らせ
- ISAS事情
- 科学観測気球大空へ
- 東奔西走
+ いも焼酎
- 編集後記

- BackNumber

ハイブリッド計算機/ロケット/衛星とともに40年

井 上 浩 三 郎  

 退官(定年)にあたり「いも焼酎」に一筆をとのことで,勤続40年間を振り返ってみたいと思います。

 昭和38年(1963年)大学の電子工学科を出て4月から勤務したのが,当時麻布の竜土町にありました東京大学生産技術研究所(東大生研)でした。前身は東京大学第二工学部で,西千葉から移転して間もないころでした。

 配属されたのは野村教授の研究室で,アナログ計算機(アナコンと呼ぶ)やロケットに搭載するテレメータ送信機などの研究を行っていました。アナログ計算機は並列演算ができるのが特長で,今日のようにデジタル計算機が普及する前までは,それを使ったシミュレーションが盛んで,研究室での初仕事もロケット飛翔シミュレーションの手伝いでした。初期のカッパやラムダロケットの飛翔性能計算もこのアナコンが使われました。しかし実際に使用してみると,誤差が多いため精度が上がらず,先輩たちは苦労していました。

 ロケットとの関わりは,翌5月で,汽車,船,バスを乗り継ぎ(約30時間かけて連れていかれました)建設後間もない鹿児島の内之浦ロケット実験場で,K-9M-2号機の打上げが最初でした。初めての経験で,野村先生に「震えていたよ」と言われるほど,非常に緊張したことを覚えています。

 昭和40年(1965年),研究室ともども新しく駒場に出来た東京大学宇宙航空研究所へ移ってからは,研究室にアナコンとデジタル計算機を繋いだハイブリッド計算機が入り,私はこの計算機のお守(も)りと,ハイブリッド計算機で生じる誤差を補償する研究を行いました。日本初の人工衛星「おおすみ」を誕生させたラムダ4Sロケットの性能計算もこの計算機で行われました。当時,糸川研究室の大学院生だった松尾,的川,上杉の各先生方と,亡くなられた佐伯さんたちは,徹夜で計算されていました。

 観測ロケットの打上げ機数も,国際地球観測年(IGY,1957〜1959)後,どんどん増えて,昭和40年(1965年)頃には年間20機以上打ち上げることもあり,1年の半分位実験に参加するようになりました。ロケットもラムダ型が登場し高度をどんどん更新しました。そしてこのラムダロケットを4段式にしたラムダ4Sロケットで,人工衛星軌道投入の実験がはじまり,5度目の挑戦で,昭和45年(1970年)2月,見事初の人工衛星「おおすみ」を誕生させました。地球を一周してきた「おおすみ」からの電波を受けたとき,実験主任の野村先生に,「おめでとうございます」と握手したことが思い出されます。

 初の人工衛星「おおすみ」誕生後,Muロケットによる一連の科学衛星プロジェクトが始まり,私もそれらの衛星プロジェクトに深く関わることになり,研究所での仕事も一変しました。一個の衛星は,およそ7年かけて開発して打ち上げるわけで,私も片手間では出来なくなり,ほとんどの時間をそれらに当てて,無我夢中でやってきました。気がつくと宇宙研の衛星すべてに携わってしまいました。昭和46年(1971年)「たんせい(淡青)」から数えて22個になります。「おおすみ」,「GEOTAIL」,「SFU」を含めますと実に25個になります。

 打ち上げに失敗した「MS-F1」,「CORSA」,最近では2000年2月の「ASTRO-E」と2002年2月の「DASH」(これはH II-A打上げ)等々,成功した衛星と失敗した衛星,そのひとつひとつに思い出があり,一緒に仕事をした方々の顔が今なつかしく浮かんできます。

(1)「たんせい」衛星に,祈る思いで送信した初めてのコマンド,
(2)「でんぱ」衛星の高圧電源の放電事故,
(3)「じきけん」衛星の難航した60mアンテナ伸展作業,
(4)「たんせい4号」衛星の‘ひやり’とさせられた太陽電池パドル展開,
(5)億キロ以上離れた探査機「すいせい」,「さきがけ」からの電波受信,
最近では
(6)「はるか」衛星の直径8mアンテナ伸展

などなどで,これらの中でも,特に「CORSA」衛星については,開発当初から日本初のX線天文衛星「はくちょう」の誕生まで,小田先生とご一緒に仕事をさせていただいた当時のことが,今も深く心に残っています。「CORSA」打上げ失敗から「はくちょう」衛星成功までの3年間は私にとって貴重な体験でした。

 東大生研,東大宇宙研,文部科学省宇宙科学研究所を通じて,諸先生方をはじめ多くの方々に大変お世話になりました。研究分野では,私の怠慢で不満足に終わりましたが,身近にすばらしいお手本になる先生方が多数おられ,いろいろなことを教えていただき,学ばせていただきました。特に,日本初の人工衛星「おおすみ」の成功と,初めての惑星探査機によるハレー彗星ミッションの成功の喜びは,深く心に残る忘れられない出来事でした。また,数多くのロケットや衛星の打上げを通じて,それらを成功させるためには,チームワークがいかに大切であるかも学ばせていただきました。ここに紙面をお借りして皆様方に厚く御礼申し上げます。

 今,宇宙研では,5月打上げのMUSES-Cをはじめ,進行中のミッションがタイトなスケジュールで進んでいます。また,10月には新しい組織に生まれ変わろうとしています。各ミッションは,今後厳しい状況も予想されますが,宇宙研のすばらしい伝統を生かしつつ,ぜひ成功に向け順調に推移するよう願ってやみません。

(いのうえ・こうざぶろう) 


#
目次
#
宇宙一族も「変わらなくちゃ」
#
Home page

ISASニュース No.264 (無断転載不可)