「ようこう」を打ち上げたKSC(内之浦)のある鹿児島,その鹿児島の旧国名・薩摩は,れっきとした英語の一般名詞である。小型で甘い(温州)みかんのことをsatsumaというのをご存知だろうか。その薩摩から実はもうひとつ,「ようこう」の活躍によって,英語の一般名詞かつ動詞(自動詞?)が誕生したと思っている。tohban(当番)である。
「ようこう」は打上げから10年3ヵ月間,継続して科学運用が行われたが,その間,延べ35研究機関に所属する,約250人の研究者・技術系職員が運用当番を勤めた。運用当番は2人1組で,SSOC(相模原)には1週間,KSCには2週間の滞在を基本のデューティ期間として行われ,SSOCにおける運用計画の作成,KSCにおける衛星の追跡,データ取得に貢献した。更に打上げ当初(1年9ヵ月)は,それらに加えて,軟X線望遠鏡(SXT)専属の当番にも,毎週2名の参加を仰いでいた。国内で運用当番派遣に貢献した大学・研究所の数は計22機関にのぼり,その最大手はもちろん国立天文台で,職員だけでも常に全「ようこう」当番の35%,天文科学専攻の総研大院生などまで含めれば,約50%のシェアーを保持していた。
「ようこう」はしかし,国際協力に立脚したミッションであったので,海外研究機関・海外研究者の運用への大規模な参加があった。研究者が衛星の科学運用に直接参加するという宇宙研のtohbaning dutyが受け入れられて,海外の計13研究機関から,毎年10人以上の外国人tohbansがSSOCに滞在,Yohkoh operationに奮闘して貰ったことになる。
さすがに,彼らにKSC tohbanをして貰うことは憚られた。公用の日本語,英語,あるいはジャパニーズ・イングリッシュとはまた違う薩摩弁まで理解して貰うのは難しかろうという配慮ではなかったかと理解している。しかし考え直してみれば,彼らの母国語にしても,6ヵ国語(米・英・仏・チェコ・インドネシア・韓国)に亘っていたわけであるし,また英語,日本語,関西弁,更に中国語まで操る外国人tohbanもいたことでもあるし,そこにもうひとつ,Satsuman languageが増えたからといってもQue sera sera,どうってこともなかったのではないかという気もしている。
(渡邊 鉄哉)