小学校の教科書にも,「日月食は年に1,2度は起こる」と書いてある。「ようこう」が上がってから,本当にそれを実感することとなった。「ようこう」は飛翔後,世界各地で見られた皆既日食,金環食,部分食のほぼ全てを体験してきた。
日食に際し,科学観測を継続させることは,衛星打ち上げ以前の段階では,真剣には考慮されていなかった。しかし打上げ直後(1992年1月4日の部分食)から日食中のX線観測への要望は高まり,その後「日食中は如何にして観測を行ったらいいか」が検討された。その結果,衛星の軌道上の位置を勘定している軌道タイマーを無効にして,日食観測を行う方法が提案され,実行されるようになった ― 即ち,「Sunrise, sunset♪,Sunrise, sunset♪,swiftly flow the days♪,swiftly fly the years♪」(Fiddler on the Roofより)のように,衛星の規則正しい日照・日陰の時計を強制的に止めて,日食観測中は,衛星(姿勢制御)には「今は日陰ですよ」と騙し,科学機器には「はい,今はまだ昼間ですよ」と観測を継続させる手段を考えたわけである。
「ようこう」は生涯に4度,セーフ・ホールド状態に落ちているが,その内3回が日食の運用に関連している。残りの1度は,衛星のポインティングを外部コロナに向けようとして,姿勢系へのコマンドを間違えた,打上げ当初の初歩的なミスであった。三度目の正直か,日食に絡んでセーフ・ホールドに落ちた時,そこからの脱出が不可能になってしまった。この日食(2001年12月14日,世界時)は,「ようこう」が体験したものとしては,食分の最も大きな日食で,「ようこう」の軌道は南太平洋上空の金環食帯のほぼ真ん中を通過していたのである。この日食がもし仮りに,この日付より3ヵ月以上前に起こるか,あるいは食がもう少し浅ければ,またひとつエピソードが追加されるだけで済んだのであるが,それは「死んだ子の年を数える」ことになろう。
この10年の間に,IRUやCMGのジャイロは劣化を余儀なくされた。姿勢の冗長系は消耗し,あるいは切り離されて,満身創痍で衛星姿勢を維持していた。日照中と日陰中では,姿勢制御モードを変更して運用されていたのであるが,その状態でセーフ・ホールドに落ちることが,衛星にとっては決してセーフ・ホールドではなく,実は最も危険な「蟻地獄」がぽっかり口を開いて待っていたことを誰も知らなかった。
(渡邊 鉄哉)