No.262
2003.1

全世界への「ようこう」データの配信

ISASニュース 2003.1 No.262 


- Home page
- No.262 目次
- 新年の御挨拶
- ISAS事情
- 特集にあたって
- 第1章 はじめに
- 第2章 「ひのとり」から「ようこう」へ
- 第3章 「ようこう」の観測装置
- 第4章 「ようこう」の科学成果
- 第5章 国内の共同観測
- 第6章 「ようこう」からSOLAR-Bへ:新しい挑戦
- 日本的発想と国際協力
- 水星の日面通過
- 太陽フレアと磁気圏サブストームの比較リコネクション学の発展
+ 全世界への「ようこう」データの配信
- 「ようこう」と世界の科学者たち
- 日食観測は鬼門!
- 英語になったTOHBAN(当番)
- 「ようこう」関連の国際会議,成果出版物
- 「ようこう」関係受賞一覧

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 データ解析をしていて別の衛星や装置のデータを探す必要が生じた場合,とりあえずWWWブラウザを立ち上げて,心当たりのブックマークを片っ端から探してみると何かしら役に立つデータがすぐ見つかる。毎日の観測データが,キャリブレーションされてムービーに編集してある場合さえあり,簡単なデータ解析ならWWWさえあればできてしまうのではないかと錯覚するほど便利である。

 しかし,「ようこう」が打ち上げられた1991年当時,データというものはなんらかのメディアに収容されて運搬されるのがあたりまえであり,大きな磁気テープを大量に抱えて海外をうろうろする事も珍しくなかった。初期のデータ運搬と解析では500MBMOが大活躍であった。なにしろオープンリール式磁気テープの10倍以上のデータがわずかインチの小さなディスクに収まるのであるから画期的である。運用当番等で宇宙研に来る際には,夜な夜なD棟でデータをコピーして持ち帰るという崇高な使命を帯びていた院生も多かった。その後,国立天文台の関係者の努力で,エクサバイトテープにコピーされたアーカイブデータが数ヵ月遅れで配布されるようになり,関係者はずいぶんとありがたい思いをした。

 「ようこう」の運用開始時期は日本でも主要大学を中心に今で言うインターネットが導入された時期であり,地上天文台等に観測情報をメールで配信したり,お互いのデータを見ながら共同観測を実施するなどと言う,今ではあたりまえのことを関係者は一つ一つ試行錯誤していった。

 その中で,インターネットを利用して,全世界に向けて「ようこう」データの配信ができないかという要望が高まり,常田さんから平磯(通信総合研究所:CRL)で担当することを打診された。当時,私はCRLに採用されたばかりであったが,自由に使える(お守りさせられている)ワークステーションがいくつかあり,これに取り組むことになった。当時平磯は独自にインターネット接続しており,64kbpsという高速接続()で回線に余裕があった事も理由の一つだったと思う。

 今のようにセキュリティにうるさい時代と違ってファイアーウォール等というややこしいものもなく,付け焼刃の知識でftpサーバを仕立てた。1日1枚のデータを処理して毎日CRLへ送信する仕組みはロッキードのモリソン氏と一緒に作り,直ちに運用を開始した。これは非常に好評であり,システムのトラブル等で数日サービスが停止するたびに,必ず何通かのお叱りのメールを海外からいただいたものである。また,CRLでは現在の「宇宙環境情報サービス」の前身の「電波擾乱予報」を業務として行っていたが,コロナホールの形状の正確な把握やLDEフレアに伴うアーケード形成といった地磁気嵐や電波伝播異常の原因となる太陽面現象をいち早く確認することができるようになり,我々自身も大きな恩恵を受ける事ができた。

 その後WWWの爆発的普及で,あちこちのサイトで「ようこう」の準リアルタイム画像が閲覧できるようになり,CRLftpサーバも自然とその役割を終えていった。

(秋岡 真樹) 

「ようこう」ホームページ上の「昨日の太陽」


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