No.255
2002.6

ISASニュース 2002.6 No.255

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天の浮橋とそれを渡る人

お茶の水女子大学学長 本 田 和 子  

 子どものころ,長い長い豆の蔓を伝って天に昇っていったジャックは,巨人(鬼)の家にたどり着いたとされるが,その家は,どこにあったのだろうかと悩んだことがある。イギリスの昔話「ジャックと豆の木」の話である。天の上とは,雲の上のことだろうか 伸びに伸びた豆の蔓がその端を伸ばしていたのは,雲の上だったのだろうか,それとも,月の世界のように,天上にある別の世界のことなのだろうか。

 分厚い雲の上が地面のように固くなっていて,そこに大きな家を建てることが出来るのだろうか でも,空が晴れて雲が薄くなったときには,その家は落ちてくるのではないかと心配だった。それとも,その家は,雲を突き抜けたその上に存在する別世界にあって,そこは,この地上と同じように山あり川あり街もあって,ただ住んでいる人が違うだけの巨人の国ということなのだろうか 本を読み終えた私は,空をにらんで考えることしばしであった。

 考えてみれば,昔話には,天に昇る話が少なくない。わが国の古人は,豆の木ならぬ「天の浮橋(あまのうきはし)」を昇り降りして天と地を行き来していたらしい。「天の浮橋」に関しては,江戸時代の学者たちはよほどそれが気になったらしく,該博な古典の知識を披瀝しつつ様々な解釈を試みている。

 たとえば,新井白石は,「天(アマ)」を海の意として,「岸に到達するための舟を連ねた橋」,すなわち,「海につらなる戦艦」のようなものと説明している(新井白石『古史通』)。一方,本居宣長は,「神々の昇り下りする橋で,天にかかっているもの」とする(本居宣長『古事記伝』)。「神が天から降りてくるときに大空に浮かべて載るもので浮橋と言う」というのもある(平田篤胤『古史伝』)。

 いずれにしても,離れた二つの場所を繋ぐ橋であることに相違はないが,その目的が,前者は海を渡るためとされ,後二つは天と地を繁ぐものとされているところに違いを見ることも出来よう。ただ,どちらの場合も,渡ろうと意図する特別の人,概して神々であるが,それらの人々のために,ある期間だけ懸けられる仮の渡しであることは確からしい。いつでもどこかに懸かっていて,誰でもがそれを渡って別の世界にたどり着ける通路ではないらしい。いわば,特別の人がその特権を利用して,自分のために設けさせる特設通路ということになろうか。

 だから,うっかりその特設通路を利用してしまったジャックは,危うく巨人(鬼)に食い殺されかけるという危険に遭遇することになったのであろう。外出から帰ってきた巨人が,かくれているジャックの体臭に気がつき,「人くさいぞ,人くさいぞ」と探し回る場面はいかにもスリリングで,子どもたちは手に汗を握り,ハラハラドキドキと結末を待つのだった。昔話の常として,大方はハッピーエンドになるであろうと想像がついていたにもかかわらず。

 いま,天の上の世界に旅するためには,「天の浮橋」ならぬ「ロケット」という有力な通路が開発されている。それは,月に行くことは可能であると,既に証明して見せている。「月」は,その昔,「かぐや姫」が飛翔し去って,「再びまみえることも叶わぬ」とばかり,残された爺と媼を嘆かせた遠い遠い憧れの地であったのだが,宇宙に向けて懸けられた現代版「天の浮橋」は,昔の人たちの叶わなかった願いの実現に手を貸そうとしているのである。ただし,それは,選ばれた特権者たちの特設通路であって,多くの普通人たちにとっては,依然,昔と変わらぬ憧れの地に導く夢の浮橋に他ならないけれど‥‥。

(ほんだ・ますこ) 


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