No.244
2001.7

ISASニュース 2001.7 No.244

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ピンキーとの再会

戸 田 勧  

 去る5月,久しぶりでピンキーに会いに行って来た。26年ぶりでみるその容色は全く衰えること無く,暖かい微笑をもって迎えてくれた。短い時間ではあったが,がらになく胸をときめかせてしまった。

 1974年から1年間,科学技術庁宇宙関連長期在外研究員としてカリフォルニア工科大学大学院航空学科に航空技術士課程の学生として滞在した。どうせ行くなら学生で行って卒業生になった方がよいという先達(古賀達蔵先生)の助言で学生登録をしたまではよかったが,最初の授業で宿題が出たことも分からない英語の実力で,当時A.J. Acosta教授(日本機械学会名誉員)のもとでResearch Assistantをしておられた古屋興二さん(現工学院大学教授)に家族ぐるみでお世話になることになった。学生生活の面では,上原祥雄さん(元防衛庁技術研究本部長),樋口 博さん(現東北大学流体科学研究所教授)に知恵をつけていただいた。お三方にこの場を借りて厚く御礼申し上げるとともに日頃のご無沙汰のご容赦を乞いたい。

 さて,宿題に追われる毎日のある日キャンパスからそう遠くないHuchington Libraryを訪ねた。そこのアートギャラリーでTurner等のイギリス18世紀風景画に囲まれてGainsboroughBlue Boyと対峙して展示されているLawrenceのPinkie”に初めて出会った。とにかく暫くの間ただボーとしてみていた。宿題に疲れた“おじさん学生”にとって一服の“清涼剤”となった。その後,帰国するまで一寸の暇を作ってはピンキーに会いに出かけた。今回はその時以来の訪問であった。26年前と何も変わってはいなかった。時の経過を忘れた。

 カリフォルニア工科大学はご案内の通りJPLを運営しており,宇宙開発とも極めて関連が深い。それなのに,"宇宙(space)"の付く学科はない。いまだに航空宇宙工学科でなく航空学科(Aeronautics)である。恩師で航空学科主任でもあった故E.E.Sechler教授の説明では航空工学,宇宙工学の共通基盤としての学問である航空学を教え,研究するという目標・理念を明確に示すために,Von Karman以来ずうっと“Aeronautics”であるということであったと記憶している。我が国にも“航空学”に拘る大学が一つぐらいあってもいいのではないか。

 いずれ航空機は亜音速機から超音速機,極超音速機へと進むであろう。そして宇宙輸送機は使い切りロケットから再使用宇宙輸送機,有人宇宙輸送機へと進むのは必然であろう。その頃の航空機と宇宙輸送機の間にいかほどの違いがあるだろうか。その頃の航空宇宙輸送機の実現と究極の信頼性向上に向けて研究するのが航空宇宙技術研究所の使命であると考えている。

 ピンキー鑑賞の翌々日,スペースデブリ問題で米国National Research Councilの委員会で一緒に仕事をさせていただいたカリフォルニア工科大学の大先輩宅に招待された。TRWVice-Presidentを勤めていたということだけあって,その広く落ち着いた大邸宅と,リンゴ,オレンジ,レモン,金柑から種々の草木が植えられ,野生の孔雀までが遊びにきている広大な庭には驚き圧倒された。ディナーとカリフォルニアワインも勿論美味かったが,Rancho Palos Verdesから眼下に広がるロス,パサデナの町を一望しながら飲んだアイスワインの味はいまだに舌に残る。今度はアイスワインを頂きに行くついでに是非またピンキーに会ってこようと思っている。

(航空宇宙技術研究所 理事長 とだ・すすむ) 


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