No.242
2001.5

Baggage ClaimでX線天文学を説く……  
ISASニュース 2001.5 No.242  

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西田篤弘 


 小田先生は楽しいお話をなさる方だった。話題が豊富で,しかも先生ご自身が心から話すことを楽しんでいらしたので,いつの間にか惹きこまれてしまうことが度々あった。アメリカでこんな経験をしたことがある。

 1982年の始めに小田先生のお供をしてワシントンからニューヨーク経由で東京に戻った時のことである。科学衛星の成果やハレー彗星探査計画への参加で宇宙研の国際協力が本格化し,NASA科学局との包括的な協議が初めて行われた後だった。大雪のために私達はニューヨークでの乗り継ぎ便を逃してしまった。ケネディ空港の Baggage Claimで荷物を待っていると,パンナムの荷物係が私達のところに来て日本人かと聞く。ビルと名乗る40前後の男性であった。ビルはかつて日本にいたことがあり,その時に折り紙に魅せられて自分で新しい流儀の折り紙を考案したとのこと。その特徴は一ドル札を使うことである,といってDollar Bill著のOrigamiという本をくれた。紙が正方形でなく矩形であるという制約を逆手にとり,紙幣の図柄も生かした面白い作品をこしらえていた。


退官記念講演(1988年1月)

 大いに感心したあとで小田先生は,お礼をしなくっちゃ,とおっしゃってカバンをお開けになった。お返しにできるようなものはお持ちでないはずなのにと思っていると,論文のプレプリントを取り出し,これを渡してX線パルサーの説明をお始めになった。全く素人の彼にX線天文学がわかるはずがない,と唖然として見ていると,先生の有無を云わせぬ話しぶりにひきこまれ,やがてビルがうなずき始めたではないか。講義は次第に熱がはいり,荷物が出て来た頃には彼はすっかりX線天文学のとりこになっていて,目を輝かせながらお礼の言葉を述べたのであった。

 小田先生のお話が人を惹きつけたのは,自分のしていることは面白く,誰でもそう思うはずだと心から信じておられたからではないだろうか。赫赫たる業績をおあげになったのだから自信をお持ちなのは当然だが,それだけでなく,ものごとを明るく見て,楽しさを人と分かち合おうという気持ちを生まれつきお持ちだったようだ。物理のセンスの鋭さと併せて,研究という未知の世界に挑む仕事にぴったりのご性格だった。先生のお話に多くの若者が鼓舞され,好奇心を刺激されて,日本の宇宙科学研究を大きく発展させた。宇宙科学における先生のご研究はX線天文学が中心だったが,ご興味は広く,私の専門である磁気圏物理学の分野においてもジオテイル衛星計画の推進を強く支援して下さったことを深く感謝している。ジオテイルの成果に対する内外の評価をご報告し,喜んでいただくことができたのがせめてものご恩返しだった。

(宇宙科学研究所名誉教授・前所長,日本学術振興会監事) 



退官記念パーティーにて(1988年1月)


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小田稔先生合同葬
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