No.242
2001.5

小田先生は電波天文学者?  
ISASニュース 2001.5 No.242  

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森 本 雅 樹 


 カミオカンデにニュートリノを撃つ,
 脳をすだれコリメーターで見る,
 衛星に載せたアンテナを使ってVLBIの基線長を飛躍的に伸ばす,
先生の提案は,先生が「何学者」だかわからないくらい広がりました。それどころかお花の絵や音楽までです。とは言っても電波天文でいつも応援いただいた私は小田先生は「もともとは電波天文学者」と勝手に考えています。


高倉達雄先生と太陽電波に挑む(1948年頃)

 小田先生の最初のキャリアーは原始核物理でした。しかしそれも束の間,第次大戦中は軍の電波研究に参加,終戦後は航空母艦の機材などを使って太陽電波観測を始められました。世界的にも早い観測,日本で最初の太陽アウトバーストの観測,太陽の電波写真の提案など大活躍でした。共同研究者の高倉達雄氏は後に太陽電波で世界的に有名になられますが,先生が電波天文に誘った,と知る人は少ないでしょう。

 その後,東大原子核研究所やMITで宇宙線空気シャワーの観測での到来方向を決める方法は上の電波写真と共通な原理です。小田先生はゴムまりで天球図を作り高エネルギー空気シャワーが受かるたびに位置をプロットしておられました。天球図は天の川の電波マップで,駆け出しだった私は「この先生は電波がご贔屓」なんて思いました。有名な電波天文学者バーク氏と親交を得られたのもその頃で,氏は後にVSOPの国際評議員を勤められるなど先生と電波天文の関連というと必ず出没されました。ある日,野辺山に来られたバーク氏を突然お宅にご案内して大酒盛りとなり,先生,ご夫人ともどもびっくりさせたりしました。

 すだれコリメーターでさそり座X-1の位置が詳しく測られ,同定観測をという相談のときにも同席の栄を得ました。電波観測では,始めの30分くらいは受かっているような記録が出たのですが時間をかけるといつの間にか消えてしまい,駄目だった,ということになりました。後のオランダの観測ではトランジェントな電波が出ている,という結果で,はじめの30分の記録と大体合っています。記録を見る目が甘くてチャンス見逃し,駄目学者のよくあるドジでした。

 VSOP,電波へリオグラフ,VERAいつも応援していただきました。VSOPでも常に温かい目,時には叱咤,時には隅まで,時には広い目,応援だったり指導だったり,議論に直接加わっていただいたり,愚痴を聞かせ呑ましてもらい,交渉に立ち会っていただいたり,弱小部族と大酋長みたいな関係でした。

「先生はもともと電波天文」の感じ,わかって頂きましたか
それとも「先生こそはこっちの分野」と感じましたか
みんなそうなのかもしれません。そんな皆さんを差し置いてか,代表してか,こんなことを書くチャンス,これもたくさん頂いたチャンスともども小田先生から頂いたものでしょうか

(国立天文台名誉教授,ひょうごは大きな博物館代表) 


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