No.242
2001.5

小田 稔先生を偲ぶ  
ISASニュース 2001.5 No.242  

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原 宏 徳 


 昨年6月15日,小川原先生退官記念パーティの時でした,小田先生にご挨拶申し上げましたらいつもより懐かしそうにCORSAの事など,こもごもお話になり,でも,とてもお元気のご様子でした。これが現世でお目にかかれた最後であったとは…。

 思い返せば小田先生とのご縁はCORSAで,大それた申し条ですけれども,生みの苦しみと復活の喜びを共にしたところから始まったのでした。そして後継者の小川原先生達がASTRO-Eで繰り返したくない生みの苦しみを味わい,しかし復活の曙光が見えた将にその時まで,何という不思議な…。

 ご葬儀に参加しお別れを申したはずなのですが,まだ信じがたい心持ちのままというのが,偽らざるところです。喜怒哀楽のお顔,もっとも怒顔はついに拝見できませんでしたが,とても印象深く,すぐ目の前に現れてくださいます。


CORSA-bの最後の見送り

 「宇宙研の小田です。原さん,折り入って相談したいのでご足労願えませんか。」年齢も,立場も,その他すべて月とスッポンほど違う私を,こんな調子で丁重にお呼びくださり,参上すると本当に相談するのだという風に課題をくださる,それが小田先生でした。CORSAの後でさえそうだったのです。当時一介の実務者の私にまで「何とか復活するつもりですが,やってくれますね」と,とても深刻なお顔でしたが,わざわざ仰ったのでした。そうまでいわれて奮い立たない者が誰かいるでしょうか。「やれますよ,やりましょう。」金も,期間も厳しい,でもやるしか有りませんでした。「はくちょう」成功の実に晴れやかな小田先生の笑顔,なによりの報酬でした。

 これは一例,以来身をもってお示しくださったリーダーの心構えは,以後,昨年6月末すべて退職するまでの私の生き方の大きな目標となりました。美しい草花の絵も先生の秀でた芸の一つ,時折画集を拝見しながら,私も又と,趣味の書にも励んだものです。常に新しいものに挑戦する先生の姿勢,長年拝見して,何時しかそれも又自分の心がけのうちに入って育った事を今更ながら発見し,自由になったこれからこそ,改めて先生の門を叩いてみたい,そんな矢先,思いがけない,夢想だにしなかった訃報に接したのでした。


(小田稔先生画)

 今となっては直接先生の謦咳に接することは出来ませんが,長年のご縁の中で残してくださった諸々のお手本を通じて心の中に生き続けていらっしゃると感じるのは私だけではないでしょう。なおも新しいものに挑戦し,何かを残すことが出来たら,何時の日か,どこかの次元であの見忘れようもない笑顔を見せてくださる事でしょう。その日を楽しみに,先生の愛されたISASの皆様と共に努力して参りたいと思います。

 終わりにこの機会をくださったISASの益々のご発展を祈念し,小田先生を偲ぶ言葉といたします。

(元日本電気) 


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小田先生と「すだれ」
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