No.242
2001.5

小田先生の思い出  
ISASニュース 2001.5 No.242  

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井 上 浩 三 郎 



KSCにて(1972年2月)

 今年3月,先生の悲報に接し,一瞬耳を疑うほどの衝撃を受けた1人です。宇宙研の衛星に数多く携わってきましたなかで,CORSA(コルサ)衛星開発当初から,日本初のX線天文衛星「はくちょう」の誕生まで,先生とご一緒に仕事をさせていただいた当時のことが今も深く心に残っています。

 先生をリーダとするX線天文チームが,心血をそそいで開発してきたX線天文衛星「コルサ」は,1976年2月に打ち上げられましたが,不幸にも軌道投入が成りませんでした。衛星テレメータセンターで打ち上げに臨んでおられた先生は,私の横で時々刻々と入ってくる情報を,指令電話で聞いておられました。そして発射後,しばらくして「第段目の軌道が低いため,コマンドにより第段目の点火を止めました」と場内アナウンスが流れた瞬間,先生をはじめ皆で顔を見合わせ,一瞬呆然としたことが思い出されます。「先生これはどういうことですか」と大声でどなる声が聞こえました。先生は,コントロールセンターへ飛んで行かれ,戻ってきてすぐさま,打ち上げの失敗の状況を説明されました。その時,「先生またやりましょう」という声が聞こえてきました。先生の心境を察せられたのでしょうか,特に関係のメーカーの方々からの声が自然に上がったのは驚きでした。

 この失敗から3年の後,驚異的な早さで見事悲願のX線天文衛星「はくちょう」を成功へと導かれました。先生の喜びのお顔とともに,皆で胴上げしたことが今も懐かしく思い出されます。口では表せないほどの大変な3年間だったとお察しいたします。私もこの3年間無我夢中で頑張ったおかげで今までにない貴重な経験をさせていただきました。当時,衛星試験などで工学と理学の調整役をしていた私に,先生は「工学チーフ」と言って,いろいろと気を配ってくださいました。


「工学チーフ」とともに打ち上げに挑む

 「アメリカでは衛星が一個上がる毎に何組かの離婚者が出るんですよ」とも言われ,これは衛星に夢中になって,ついつい家庭をないがしろにするからだそうで,我々衛星チームのパーティには必ず奥さんの同伴を勧められ,“若きウイドー達”に日頃の労をねぎらわれました。

 私事で先生に講演をお願いして,そのお供をした時も,いつも奥様とご一緒で,アメリカ仕込みのレディファーストを通されていました。

 1997年2月M-V-1号機で「はるか」の打ち上げが成功した際,わざわざKSCへ電話を下さり,「あなた達は大変なことをしたのですよ」とお祝いの言葉を下さいました。昨年2月ASTRO-E打ち上げの時,内之浦でお会いした折りは,足が少しご不自由の様子でしたが,私が,「頑張っています」と先生にお話したのが最後となってしまいました。

 日本のX線天文を世界のトップにまで育て上げられ,「日本の衛星は小さいけれどもピリリとわさびの利いた衛星だよ」と仰られた小田先生に,もうお会いできないのかと思うと寂しくてなりません。

 「星の王子さま」やすらかにお休み下さい。

(宇宙科学研究所) 


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