No.242
2001.5

小田先生の想い出  
ISASニュース 2001.5 No.242  

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林 友 直 



林友直先生と「はくちょう」誕生をともに喜ぶ

 小田先生を最初にお見かけしたのは今から45年ほど前の1956年ころ,本郷の東大工学部3号館電気工学科 岡村総吾先生のお部屋の入り口である。その頃専任講師であった私は岡村先生の教授室に間借りさせていただいていた。たまたま部屋を出るとき入れ違いに,もと島田の海軍技術研究所におりました小田ですと名乗って,同研究所の先輩としての岡村先生を訪問されたのである。そのすこし前に岩波書店刊行の雑誌「科学」で,速度の異なる電子ビ−ム間の相互作用で宇宙における粒子加速の機構を考えるというショ−ト・ノ−トで小田稔というお名前は拝見していたので,印象に残っていたものである。

 そのおよそ10年後図らずも駒場の宇宙研に同じく籍を置くことになり長いお付き合いが始まった。先生はMITで研究された“すだれ”コリメ−タを宇宙研のロケットや衛星に搭載して宇宙のX線を観測するということで1966年に着任された。

 当時衛星の打ち上げはつまずきを重ねており,研究所は苦難の日々の連続であったが,1970年2月11日に日本最初の人工衛星「おおすみ」がL-4S-5号機によってやっと軌道に乗った。

 つまずきで得られた技術的に貴重な経験を生かすことによって,その後のミユ−・ロケットによる科学衛星の打ち上げは比較的順調に進んだ。ところが1976年2月4日,小田先生が手塩にかけられた「すだれ」コリメ−タを搭載するCORSAは打ち上げ時の事故で軌道に乗せることが出来なかった。私はそのとき実験主任を務めており,発射まもなく地下の発射管制室で聞いた指令電話の向うの「軌道投入をあきらめます」という野村先生のお声は忘れられない。X線天文衛星の実現に遅れをもたらしたことは小田先生にとって痛恨の一事であったことは想像に難くない。


完成したCORSA-bを囲む

 能うる限りのデ−タの集積による原因究明,各方面への事情の説明,各種報告書の作成と併せて,再起のための改善措置の指示など,宇宙工学チ−ムの不屈の努力が積み重ねられた。この失敗にめげずM-3C型ロケットをM-3H型に発展させた。その間CORSA失敗の雪辱を果たさんものと,CORSA-b計画が小田先生を初めとするX線チ−ムの意欲を踏まえ,宇宙研の研究部と事務部の熱意で推進された。これは骨惜しみをせず,製造メ−カ−と一緒になって問題解決に取り組むという研究所の姿勢によって,異例の早さと異例の予算規模で仕上がり,1979年2月21日M-3C-4号機で打ち上げの運びとなった。CORSA-bは軌道投入後にX線星を抱えた星座にちなんで「はくちょう」と命名された。このときも私は実験主任を仰せつかっており,この衛星の実現はこの上ない喜びであった。「はくちょう」のX線天文学への貢献が画期的なものであったことは遍く知られているが,それを可能にした工学チ−ムの一員としてひそかに誇りとしているところである。


打ち上げ成功記念の寄せ書きに喜びの署名

 その後,小田先生ご在任中の打ち上げは極めて順調に推移した。「さきがけ」と「すいせい」はハレ−彗星の接近観測を果たした。この計画は当時のソビエト,ヨ−ロッパ,アメリカとともに総勢6機の探査機を擁した国際共同観測であった。この計画がよい成果を挙げ,イタリアのパドヴァで会合を開いた折,法王ヨハネ・パウロ2世「が一同をバチカン宮殿にお招きくださることになった。私も一員に加えていただいたが,小田先生は日本チ−ムを代表して成果を報告され,またチ−ム一人ずつ法王と握手するさいの紹介をして下さった。小田先生の晴れ舞台であったと拝察する次第である。

 先生は英語にご堪能で,はたで伺っていても,かくあらまほしと思うようなお話し振りであった。また小説類もよくお読みになるらしく,ある日たまたま乗り合わせた電車の中で,いまAuel女史の「The Clan of the Cave Bear」を読んでいるが,実に面白くてやめられないほどだとおっしゃった。それまで外国語の長編は敬遠していた私も勇を鼓して挑戦してみたところ,面白いものならば習慣として定着させることができ,それ以来朝の電車の中だけという枠を課しながらも外国の小説類をこなすという愉しみがふえた。ときには論文に使えそうな便利な言い回しについての貴重なヒントが得られるということもわかり,小田先生の与えてくださった貴重なお導きに深く感謝している。

 先生は若い気持ちを持続され,目標に向かって常に全力疾走してこられたように思う。どうか天の星に近いところで安らかにおやすみ下さるようお祈りして筆を措く。

(宇宙科学研究所名誉教授,千葉工業大学) 


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小田さん,安らかに。
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