No.242
2001.5

小田さんの想い出  
ISASニュース 2001.5 No.242  

- Home page
- No.242 目次
- 松尾弘毅
- 田中靖郎
- Riccardo Giacconi
+ 西村 純
- 栗原文良
- 瓜本信二
- 寿岳 潤
- 宮本重憲
- 野村民也
- 林 友直
- 平尾邦雄
- 井上浩三郎
- 原 宏徳
- 牧島一夫
- 井上 一
- Ken Pounds
- 平山 淳
- 森本雅樹
- 戸田康明
- 岩田冨美
- 的川泰宣
- 秋葉鐐二郎
- 西田篤弘
- 小田稔先生合同葬
- ISAS事情
- 編集後記

- BackNumber

西 村 純 



西村純先生へ所長引継(1988年1月)

 小田さんが亡くなられてからもう2か月に近い日が経とうとしている。永年親しくつきあって頂いた小田さんに去られててこんなにさびしいことはない。

 小田さんに初めお会いしたのはもう50年ほど前の事である。小田さんは出来たばかりの大阪市立大学におられて,宇宙線の研究室の中心として活躍しておられた。颯爽とした青年科学者という面影があった。私は神戸大学にいたので,時々お会いする機会があった。それから,原子核研究所,宇宙研へと50年の間,そのうちの大半を同じ研究所で共に過ごしたことになる。研究の事,研究所の将来のあり方,その他諸々の事について,熱っぽく語り合ったことが昨日の事のようにおもいだされてくる。

 宇宙航空研究所の初期の時代は,ロケットもなかなか大変で,日本の天頂付近を通過する白鳥座のX線星の正確な位置を,スダレコリメタ−の検出器を気球に搭載して,確定しようと提案された。大洋村からあげた気球は残念なことに上昇中破壊したが,原の町,三陸に移る頃は観測も満足行く状態で成功した。X線衛星『ウフル』とほぼ同じ時期に位置を確定したが,後にその場所で微かに電波を出す星が見付かり,光学観測が行なわれて,現在もブラックホールの第一候補と言われる星の発見へと導いた。その間,小田さんは虫眼鏡で机の上に広げた星座の写真を一心に眺めておられた姿を思い出す。宇宙科学研究所の気球観測にとって記念すべき成果であった。ここに小田さんの素晴らしい先見性と実行力の一面を見ることができる。

 小田さんは朝永先生の友人のダイソン博士とはよく気が合っておられた様で,ダイソン博士も度研究所を訪れておられる。ダイソン博士は当時巨大化に走り停滞ぎみのアメリカの宇宙科学研究の体制には批判的で,「科学の研究はレスポンスが早い事が重要,「“Quick is beautiful”その為には“Small is beautiful”」と説いておられた。宇宙科学研究所のやり方はまさに私の理想的な形だと喜んでおられた。事実,小田さんが所長の時期に宇宙科学研究所は国際的にも揺るぎない第一級の研究所として認識される様になった。宇宙研草創の時期の多くの諸先輩と,優れた科学者としての小田さんの指導力,国際性が今日の宇宙研の発展をもたらした。小田さんを失ったことは日本の学界のみならず,国際的にもその損失は余りも大きい。

 小田さんに引き続いて私は所長になったが,懸案のM-V開発の承認は難しい所は小田さんが解決してくださっていた。その他,研究所の運営について難しい問題に遭遇する度に相談にのっていただいた事はいうまでもない。ここにあらためて感謝申し上げ,小田さんの御冥福を切にお祈りして筆を措く。

(宇宙科学研究所名誉教授・元所長) 


#
目次
#
星の王子さま小田稔先生を偲ぶ
#
Home page

ISASニュース No.242 (無断転載不可)