No.242
2001.5

小田稔先生を悼む   ISASニュース 2001.5 No.242

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宇宙科学研究所長  松 尾 弘 毅 



 本研究所名誉教授,評議員会会長小田稔先生は2001年3月1日心不全のため急逝されました。

 先生は“はくちょう”をはじめとする線天文衛星の成功により我が国の宇宙科学を世界の第一線に押し出すと共に,所長在職の間には,ハレー彗星探査に始まるM-3S II型ロケットによる科学衛星の黄金時代の幕開けを演出されました。さらに,近年においては評議員会会長として大所高所から宇宙科学研究所の進路を照らして下さいました。我が国の宇宙科学の一層の発展あるいは独立行政法人化への対応などますます先生のお力が必要なとき,ご逝去はかえすがえすも残念なことです。

 先生が繰り返し強調されたのは,宇宙科学研究所における理工の連携の重要さでした。加えて,小さな所帯です。工学の駆け出しにも理学の大先生に親しく接しさせて頂く機会に恵まれました。お人柄と共に色んな場面が目に浮かびます。

 駒場の頃,運動会の最終種目は所内マラソンでした。所長の参加をお断り出来るわけもなく,大会委員長としては閉会式の30分遅れを覚悟したものです。評議員会も先生の熱の入ったリードにより時間超過が常で,有り難いことでありましたし,庶務課泣かせでもありました。

 ハレー彗星探査の折,当時計画を有していた日米欧ソがイタリアのパドヴァで会合することになり,日本の計画の説明役に私が先生のお供をしました。晩餐会の途中で到着された先生は颯爽たるスピーチで場をさらわれました。この折先生のご周旋で設立されたIACG(宇宙科学関係機関連絡協議会)は,宇宙科学分野での国際協調機構として今だに重要な役割を果たしています。私については,良かったけど声が小さかったとのことでした。小田先生の前で英語で話すともなれば,声も小さくなろうというものです。

 後日各国の代表がローマ法王に拝謁して成功をご報告することになりました。法王様を英語では何とお呼びするか,先生も首をかしげられたので皆安心した覚えがあります。正解は確かYour Holinessです。

 実は,去る3月英国惑星協会がハレー彗星探査を記念してシンポジウムを企画しました。昨年末先生に出席を打診したところ満更でもないご様子だった矢先のことでした。

 心から先生のご冥福をお祈りいたします。


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世界の偉大な科学者 小田先生
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