No.238
2001.1

ISASニュース 2001.1 No.238

- Home page
- No.238 目次
- 新年の御挨拶
- 特集に当たって
- 初夢・目次
+ 初夢・編集後記
- 初夢タイトル画・「宇宙の日」絵画コンクール入選作品

- BackNumber

初夢:編集後記

 21世紀に入りたてのころ,日本では大幅な省庁再編後の新体制がスタートしました。その時,文部省と科学技術庁が合体して文部科学省ができたのです。当時日本の宇宙開発はちょっと調子が悪くて,マスコミもこぞって「日本の宇宙開発の閉塞期」と呼んでいたものです。なにしろ打上げが失敗すればセンセーショナルに書き立てる割りには,たとえばノルウェーのスピッツベルゲンでSS-520という2段式ロケットの打上げに成功した時なんかには,マスコミ各紙はこぞってダンマリを決め込むという始末でしたから,ロケットの現場も意気の上がらないことと言ったらなかったのです。

 でも20世紀の末の数年間は,人々と宇宙科学研究所の結びつきにとって,いいニュースもありました。内之浦からM-Vロケットで打ち上げられた日本初の火星探査機「のぞみ」を準備していた1998年7月には,「あなたの名前を火星へ」というキャンペーンを張りました。「はがきに名前を書いて宇宙研に送ってもらえれば,その名前をすべて(縮小はするものの)アルミの板に焼き付けて探査機に搭載して火星まで届けます」って寸法でした。

 始めはね,5000人1万人くらいの人が名前を寄せるかなって思ってたんですが,フタを開けたら,もうドシドシ来ちゃって,ついに27万人もの人の名前を運ぶことになったんです。おまけにその1枚1枚のはがきの余白には,書ききれないほど感動的なメッセージがたくさん添えられていたんです。

 当時の宇宙科学研究所では「宇宙学校」って催しをやっていましてね。それに参加した子どもたちの中から,不登校を返上して元気に小学校に通い始めた子が出たりして,宇宙と子どもたち心との結びつきは,実践的に証明されつつあったものです。

 21世紀に入ると,宇宙の科学は怒涛のごとく宇宙の謎に挑戦して華々しい成果を披露し,「理科離れ」が激しい勢いで進行していた日本の子どもたちの心に大きな希望の灯をともすようになりました。それは一つには,新しい輸送機が完成して東京‐ロサンゼルスも大阪‐パリも2時間で結ばれるようになった結果,宇宙が人々にとってとても日常的な世界になったという事情があり,他方で,20世紀にはどちらかと言えば「閉鎖的に」研究を続けていた研究者たちの側でも,21世紀になると,自分たちの研究を支えているのが,ごく普通の人たちの払っている税金であることを深く自覚するようになり,人々が宇宙科学の成果を楽しむことができるよう,大いに気を配るようになったという事情も出て来たからでしょう。

 その先駆けとなったISASニュースの2001年新年号の「初夢大特集」を,私は今懐かしく思い出しているところです。そう言えば,あのニュースのどこかに「白魚のような手」という表現が出てきたのですが,20人あまりいる筆者の指をどんなに探しても,そんなものは見つからなかったんです。不思議なこともあるもんです。

 それから,あの特集号のそれぞれのページのタイトルバックに使われた可愛らしい絵は,当時「宇宙の日」絵画コンクールで入賞した子どもたちの作品ばかりだったんです。下にその可愛いイラストレーターたちの名前と当時の学校・学年を紹介しておきますが,その中には,その後宇宙科学者や宇宙飛行士になった子どもたちもいるんですよ。さて,それは誰でしょう

(まとがわ・やすのり) 



#
目次
#
初夢タイトル画・「宇宙の日」絵画コンクール入選作品
#
Home page

ISASニュース No.238 (無断転載不可)